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'07松代藩真田十万石まつり―その一 

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松代藩真田十万石まつり
 2007年10月7日
 長野県長野市松代

以下、おまつりと松代の史跡巡りの記録です。
あやふやな部分もありますが、ご了承ください。
間違い、勘違いを見つけられたらコメントやメールでお知らせいただけるとありがたいです。
また、写真の掲載などで問題がありましたらご連絡ください。





昨年に続いて二回目の「松代藩真田十万石まつり」です。
松代を訪れるのはこれで三回目……だったかな。

今年はお祭り前に「白鳥神社」と「西楽寺」そして「大英寺」を巡る予定で家を出発。
長野駅で新幹線を降り、松代行きのバスに乗り込みました。
バスは川中島古戦場を通って松代駅前へ。
本来ならここで降りるべきですが、私はそのまま終点の松代高校へ。
そこから徒歩10分。白鳥神社の鳥居前に到着です。

matusiro071007-000.jpg  matusiro071007-001.jpg

鳥居の前に自動車と男性が三人。
「先客かぁ」と近づいていくと、

「見える、見えるぞ!」
「ほんとだ。すげぇ」

となんだか騒がしい。
何が見えるのかと彼らのほうを見てみたら、びっしょり濡れた背中から湯気が。肌寒さを感じるくらいの気温で汗だくって……。
嫌な予感を感じつつも参道へ。


matusiro071007-002.jpg  matusiro071007-003.jpg

参道というか山道です。
小山の中腹にあることは了解していましたが、登るかどうか一瞬躊躇。
距離は300mと短いですが、ゆっくりゆっくり登っていかないと足も息も大変。
斜面は舗装どころか石段もなし。雨が降った後だと登れないかもしれません。
これはいい登山。休み休み登ってもうっすら汗をかきました。


社殿の前まで来ると石段が現れます。
思ったより開けていますが、山の中ということもあり、海野宿の白鳥神社より雰囲気に重みがあります。
正面向かって右に神厩舎。左に絵馬殿があります。


matusiro071007-004.jpg  matusiro071007-005.jpg

神厩舎の木造神馬と絵馬殿。
この神社を訪れた一番の理由がこの神馬を見ること。
けやきの寄木造で全身の細かい毛まで彫られたこの馬は、諏訪の名工、立川和四郎富昌によるもので、長野市文化財に指定されています。
白鳥神社に置いてあった由緒によると嘉永二年(1849年)に真田幸貫公が富昌に作らせたとのこと。

【小沢家】(「彫刻師系図」文化財建造物保存技術協会編著より)
 常信(小沢五右衛門)―常足(古沢三重郎)―和四郎

和四郎……常足門人、信州諏訪、立川和四郎富棟(初代)
                           |
                     立川和四郎富昌(二代)

立川和四郎富昌という人物は諏訪立川流彫刻を確立し世に知らしめた人物で、信濃国一宮「諏訪大社」の彫刻はこの一門が手がけています。

文化財ということでフラッシュ撮影を控えたため、見にくい写真となってしまいましたが、よく見ていただくと本当に細かい毛まで彫られているのが分かるかとおもいます。
実物はもっとリアルで今にも動き出しそうでした。


matusiro071007-006.jpg白鳥神社拝殿
惣門がしっかりと閉じられていたので、隙間から撮影。


matusiro071007-007.jpg  matusiro071007-008.jpg

蛙股には六文銭。瓦には結雁金。
共に真田の紋所ですね。


matusiro071007-009.jpg  matusiro071007-010.jpg

脇から撮影。
手前が拝殿で一段高くにあるのが本殿上屋。

白鳥神社(しろとりじんじゃ)
松代藩初代藩主真田信之が元和八年(1622)上田より松代に移封された時、祈願所であった開善寺を松代に移したのに続いて寛永元年(1624)9月、現在の位置に神社を建立。

祭神:日本武尊、貞元親王、貞保親王
御相殿:武靖大神 真田家
末社:忠重霊神 鈴木右近

建てられて後、二回ほどの改築が行われ、八代藩主真田幸貫公のときに完全に出来上がる。
また建築は久能山東照宮を模した造りといわれる。

「白鳥神社の由緒」より

春に訪れた海野宿の白鳥神社はここの元になる神社です。
上田真田まつり―その一に写真を載せています。
松代へ移されたときに日本武尊もちゃんと連れてきてもらえているだろうかと心配していましたが、どうやら大丈夫だったみたいです。

お祭りの成功をお祈りして、社殿を後にしました。


matusiro071007-011.jpg  matusiro071007-012.jpg

登ってきた坂道を下りるわけですが……こ、怖い。
登り以上にゆっくり足を運ばないと、転がり落ちそうです。
ふと足を止めて前方を見ると、眼下に街がひろがっていました。中央の水門から推測するに松代城は右側の木の奥になると思います。
ずいぶん上のほうまで上がったんだなぁ。

参道入り口付近の灯篭。
恩田民矩、民祇の名が見られます。
松代藩の家老を勤めた恩田木工(恩田民親)の子孫かしら?


次は西楽寺へ向かいます。

matusiro071007-013.jpg  matusiro071007-014.jpg

途中、六文銭を頂いたお寺を発見。
当初の予定には無くてどうしようか迷ったのですが、何か呼ばれているような気がして寄り道。
海野郷海善寺村→上田の鬼門よけとして鎮護→真田氏松代移封に伴い移転、真田家の祈願寺として現在に至る。

本堂は慶安三年(1650)建立
本尊は地蔵菩薩(開基 滋野法親王を等身大に刻んだもの)

「当寺の由来」(開善寺文化保存会)より

ここの情報を全く持っていなかったので、(信心の人や檀家さん以外はNGのお寺も多いのでトラブルを避けるため)入山はせずに山門の前に「当寺の由来」と題した案内だけ読んできました。
白鳥神社の由来にも書かれていましたが、どうやらここは白鳥神社の別当のようです。

そして「当寺の由来」の最後に唐突に
大聖観喜天尊は尊海が江戸品川の海中より光の発するを見てこれを持ち帰って祀ったものと伝えられ霊験まことにあらたかな秘仏である。
(※尊海は開善寺の初代住職)
と……
一瞬目を疑いました。まさかこんなところで聖天様に出会うとは。「観喜」となっていますが、たぶん「歓喜」の誤植ですよね。
呼ばれたのはこれだったみたいです(笑)

典厩寺に聖天様がおまつりされている事は知っていましたが、近くにもう一つあるとは。松代近辺の聖天信仰について興味が沸きました。
尊海と品川の関係や歓喜天を持ち帰った詳しい経緯を知りたいところです。(案内には本当に唐突にこれだけしか書かれていなかったので)


寄り道していて、予定の時間を過ぎてしまいました。
早足で本来の目的地、西楽寺へ。
西楽寺の様子は「その二」で詳しく書きます。





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[2007/10/10 00:04] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(4)

私、実はまだ松代の白鳥神社にはお参りしたことがないのです。
写真を見て、素晴らしさが伝わってきました。
私も、そろそろ呼ばれているようです。
[2007/10/10 21:21] -[ 編集 ]

白鳥神社は真田にとって重要な神社ですよね。
ぜひぜひお参りして、rokumonsen.comのデータベースに詳しく載せてください!
[2007/10/11 16:07] JLOtVP6o[ 編集 ]

白鳥神社

松代のまちづくりに取り組むNPO夢空間事務局です。
白鳥神社をご紹介いただきましてありがとうございます。すばらしい神社なのですが、山に登るのが大変なので地元でも関係者しかあまり行かないので
もっとPRする必要を感じています。
神社の総代の方々が熱意をもって白鳥神社のPRにとりくんでいますが。
今後も松代 よろしくお願いいたします。
[2008/01/01 18:15] -[ 編集 ]

NPO夢空間事務局 様
拙ブログを見ていただき、有難うございます。
(もう少しきちんと書いておけばよかったと後悔しきりです)
神社周辺はとても綺麗になっていて、松代のかたの意識の高さを感じました。
もっと多くの人に白鳥神社が知られると良いですね!
コメント有難うございました。
[2008/01/03 06:11] JLOtVP6o[ 編集 ]

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