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歴史を伝える 

先日、郷土史の先生のお供をして、地元の小学校へ行ってきました。
6年生が課外授業で郷土の歴史を学んでいるそうで、そこへ私も生徒としてお邪魔させていただきました。
テレビで言われているような学級崩壊など全く無いとてもいい生徒さんたちで、彼らがこれまでに調べてきた町の歴史を見せてもらいましたが、想像以上に内容が濃く、しっかりしたものが出来上がっていました。
私のPC内にある郷土史フォルダより充実しているかも(苦笑)

「子供は尾ひれはひれをつけないからいいんねぇ。大人は尾ひれをつけるからそこがいけねぇん」と子供たちの書いた模造紙を眺めながら先生が仰っていましたが、本当に正直な良いまとめをしていました。

45分の授業が延長して90分。
大学の講義と同じ時間かかったのにもかかわらず、子供たちは一生懸命先生の話を聞いていました。子供たちも偉いけれど、やはり話す側の話術というのも大いに関係するわけで……

「次はあんた達がやるんだよぉ。学校の先生にも言ってあるからお願いしますねぇ」

なんて言われて、慌てました。
次からって……無理ですよ(涙目)


授業の内容は、古代~江戸時代までの学校周辺の歴史について。
すぐ北側に利根川が流れるこの一帯は古代の遺跡が殆ど見つかっていない。しかしながら調査によって一年間に1mm土が堆積することが分かっており、1000年前なら1m下。2000年前なら2m下に昔の地面が埋まっていること。そして、それよりも深い場所はまだまだ発掘が進んでいないのでこれから何かが見つかるかも知れないというお話しが印象に残りました。
これを聞いた子供たちの中に町の歴史の発掘に関わるような子が育ってくれるといいな……と。多分、先生もその種まきをしているのだと思います。











今回訪れた学校の学区内に忍城水攻めの時に石田三成が水を引き入れたという伝説の残る場所があるのですが、その話しもチラッと出ました。
「『出来島村詩』と『男沼村誌』に詳しくあるから皆さん読んでくださいねぇ」とのこと。

帰宅して慌てて『男沼村誌』を確認。
『男沼村誌』間々田見聞の項

「天正十八年(1590)豊臣秀吉関東平定の際、東海道を下つた本隊と別に中山道を下つた石田三成、前田利家、真田昌幸らの一隊は……」

ここで違和感を覚える




papa071001-1.jpg

誰?

「 幸 田 真 幸 」って誰ー!
しかしこれをナチュラルに「さ な だ ま さ ゆ き」と読んだ私もどうかと。

切れ所から忍城までの水道の詳細を知りたかったのに、これが気になって気になって。こういう表記があるのか、昌幸とはまったく別の人なのかとか……(苦笑)

村誌には取水口といわれている場所から忍城まで、利根川の水が流れたであろう場所の推測がされているので、暇な時にでもそれをたどって写真を撮ってこようかなぁなんて思っています。
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