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明治時代の我が家 

naka-070605.jpg先日、明治時代に撮影された写真にうちが写っているという情報を得ました。
所有者は熊谷の中心部にある写真館。すぐに問い合わせてみたところ、複写を快諾してくださいました。
そして今日、「電話でサイズを言って出来上がったら受け取りに行けばいいじゃないの」という母を引きずって、写真屋さんへ。


その写真館は『中村写真館(ホームページ)』という市内でも歴史のあるお店です。
ホームページにもありますが、「軍配せんべい」で知られる『中家堂(ホームページ)』の本家筋にあたるお家だそうで、明治時代に中家堂のご当主が新事業として写真館を始めたのが元なのだそうです。

我が家が写っているのもその方が撮影されたもので、よく見ると家の前には人が立っています。写真館で大きく引き伸ばしたものを見せていただくと、その人物はかなりはっきり写っていました。母によるとどうやらうちの先祖ではないらしいとのこと。戦前までは酒屋(兼居酒屋)をやっていたので、もしかするとそのお客さんかもしれません。

実際に大きな写真を見てみると補正の必要な部分などが出てきたので、面倒でもお邪魔してよかったと思います。
写真館には明治時代の国道17号線(中仙道熊谷宿)の様子や昭和初期の町並みの写真などが展示されています。

熊谷市街の町並みは大正時代の大火と第二次世界大戦の空襲で焼けてしまい今は見る影もありません。
「これが残っていたら、川越みたいになっていたでしょうね」
と写真館の方もおっしゃっていました。

その二つの火災を乗り越えて残った明治~昭和初期の写真は貴重なものであり、これを守り抜いてくれた先人に感謝しても仕切れない気持ちでいっぱいです。
写真が出来上がるのが今からとても楽しみです。

ちなみに上の写真は聖天様にある永代祈祷の碑。
2mほどの高さがあり、中家堂さんの字が見られます。妻沼の葛和田から中村家に養子に入った方がいて、聖天様とも深いつながりがあったようです。




ajisai070605.jpg  tuki070605.jpg

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[2007/06/05 23:55] 雑記 | TB(0) | CM(2)

酒屋だったのですか・・

 おお、もよさんの家は、蔵元さんだったのですね。
 維新からこっち、地方の蔵元さんは、ほとんど潰れてしまったと聞きます。
 農地解放、酒税法。戦時中の米の割り当て、アルコール添加。わずかな量しか作らない蔵元は生き残らなかったのです。
 江戸時代から続く庄屋の中では、蔵元として酒を造る家も少なくなかったらしいですが。
[2007/06/06 07:01] leF2ecbc[ 編集 ]

造り酒屋

いえいえ、蔵元ではなく小売のほうです(^^;)
お得意様の所に貧乏徳利を置かせてもらって、減った頃を見計らって継ぎ足しに行くという商売をしていたとか。
越後から出稼ぎ兼修業の為に出てきた先祖は埼玉北部の酒蔵でしばらくお世話になった後、現在私が住んでいる場所に店を開いたそうです。
ただ、戦中の物資不足には勝てず廃業したとか。

中山道沿いは江戸時代から酒蔵の専業化が進んでいたので、明治期は乗り越えられた所も結構あったようです。今はほとんど無いですけどね。先祖が修業した酒蔵も今はありません。

[2007/06/06 21:25] JLOtVP6o[ 編集 ]

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