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上田真田まつり'07―その二 

海野宿を後にして、上田の市街地へ。
上田駅に到着したのは午前7時。早い、早すぎる。

という事でここで再び予定を繰り上げて、上田市手塚へ向かいます。
この上田行きの数日前、手塚太郎光盛の供養塔がここにあるという情報を得て、ならばついでにと来てみたものの……


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なんという霧!
数メートル先が見えません。この日の上田市街のお天気は後の写真をみても分かるように快晴。
しかしここだけまるで私が来るのを阻むかのような濃霧で……。
何か因縁のようなものを感じました。


1183年(寿永2)「倶利伽羅峠の戦い(砺波山の戦い)」から敗走する平家軍を木曽義仲の軍が追撃、篠原(現加賀市)で捉え、そこで「篠原の戦い」が行われます。
この時、平家側の将であった斎藤別当実盛は

「六十にあまっていくさの陣へむかはん時は、びんぴげをくろう染めてわかやがうどおもふなり。そのゆへは、わか殿原にあらそひてさきをかけんもおとなげなし、又老武者とて人のあなどらんも口惜かるべし」
(『平家物語』岩波書店)

と白い鬢髭を黒く染め勇ましく出陣します。それを義仲軍の将である手塚太郎金刺光盛が一騎打ちの末、討ち取ります。


私が現在住んでいるあたりはその昔、長井庄(ながいのしょう)と呼ばれ、実盛が治めていました。
今更領主の仇を討ちに来たわけではないのですが、どうやら嫌われてしまったようで(苦笑)この霧の中同じような道をグルグル回るばかり。結局光盛の供養塔をはじめとする史跡を見つけられずに時間切れになってしまいました。

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消沈しつつ、上田駅に戻ります。
手塚とは打って変わってこちらは恐ろしいまでの青空。

u-s070429-016.jpg  u-s070429-017.jpg


u-s070429-018.jpg市営駐車場に車を入れて、お約束の幸村公像撮影です。
時刻はちょうど午前8時。気温5℃。
晴れているのに寒い!!




u-s070429-019.jpg  u-s070429-020.jpg

上田高校の門。
上田藩主の館跡にある高校です。
お堀の亀の数を数えながら、上田城方面へ歩いていきます。
この門は滅多に開かないのかな?
生徒さんたちは別の所から出入りしていました。


その三へ
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[2007/05/07 23:13] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(2)

雑記お休みとか

 雑記をお休みされて、レポに集中されるそうですね。御苦労様です。
 明け方7時・・・自分がビジネスホテルで目覚めた時間ですね。それから荷物まとめて・・と言うのがその時間です。
 そうやって考えると、逆に自分が追っかけたんですね。上田城に向かって。
[2007/05/09 05:51] leF2ecbc[ 編集 ]

忘れないうちに

書いておきたいので、雑記を書く時間をおまつりの方にまわそうと思います。

たぶん上田駅からお城までの間、お互い追い越し追い越されって感じで移動してたのではないでしょうか(笑)
[2007/05/09 18:33] JLOtVP6o[ 編集 ]

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