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江戸湯島と武州目(女)沼―その二 

湯島天神のすぐ隣。
ここに「湯島聖天」と呼ばれる天台宗のお寺、「心城院」があります。

yusima-syoden00.jpg  yusima-syoden01.jpg

 もと宝珠院弁才天と称され、湯島天満宮の境内に
ありました。湯島天満宮は菅原道真公を祭神として
いますが、道真公はとくに聖天(大聖歓喜天)の信仰
が篤く、ために「天満大自在天」ともいわれました。

 ときに元禄7年、湯島天神の別当職にあった天台宗
喜見院三世の宥海上人が、道真公と因縁浅からざる大
聖歓喜天を奉安し開かれたのがはじめである。
                (心城院案内より抜粋)

この地に大聖歓喜天が祀られたのが、元禄7年(1694)。
ということは、この湯島聖天ができた後に実盛の伝説が生まれ
た可能性があると思います。

実盛は大聖歓喜天を自身の守り本尊とし、武蔵野国長井庄に
聖天宮を開きます。

実盛が生きた時代は12世紀。
湯島聖天ができた時代は17世紀。

その上、湯島聖天の縁起に

天台宗喜見院三世の宥海上人が、道真公と因縁浅から
ざる大聖歓喜天を奉安し開かれたのがはじめである。

とあるわけです。




yusima-syoden02.jpg
  ちなみに、この写真は
  湯島聖天の境内にある
  「弁財天放生池」



(御府内備考・江戸志)に
宝珠弁財天  男坂下
 江戸砂子にいう、此所の池は長井実盛(後に斉藤
別当実盛になる)庭前の池と伝ふ。昔は余程の池な
りしを近世其の形のみ少しばかり残りたり。
            (弁財天放生池の案内より)

庭ということは、屋敷がここにあったということになりますよね。
むむむ。


思うに、湯島と妻沼(女沼・目沼)は利根川(江戸川)の水運
によって今以上に行き来があったのではないでしょうか。
そこで文化、情報の行き来も行われ、伝説やら名所やらが生
まれたのではないかと……。

また、江戸で聖天様というと、なんといっても浅草の待乳山
聖天が有名です。
浅草にも同じようなものがあるのか気になるところですが、
それはまた今度。来年の買出しの時にでも探してみようかと
思います。



zousigaya-ginko00.jpg  最後に少々場所は離れますが、
  雑司ヶ谷の墓地に立ち寄りました。
  ここには妻沼出身の日本公許女医
  第一号である荻野吟子女史のお墓
  があります。
  写真は墓所に立つ女史の像です。
  実は吟子さんも湯島と深い関わり
  があり、病気治療で訪れたのが
  
東京湯島「順天堂医院」(現順天堂大学医学部附属順天堂医院)
であり、医術開業試験合格後開いた医院も湯島なのです。
吟子さんの実家は利根川沿いの大きな舟問屋。
明治になって大規模流通が船から汽車に変わる事となりますが、
人のつながりはまだまだ深くあったのでしょう。


湯島と妻沼。
やはり因縁浅からぬ地なのだなぁと思わずにはいられません。
江戸時代の利根川水運からもっと掘り下げて調べてみたら
他にも色々面白いことが分かりそうだなぁと思える、湯島散策
でした。




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