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聞いてないよー! 

momi061202-0.jpg  momi061202-1.jpg

ゆっくり時間をかけて散歩。
夕方の光の方が柔らかい感じで好きなのですが、思うように
撮れないなぁ。気がつくと薄暗くなっているし。

紅葉自体、今年はいまいち。
葉っぱが赤くなる前に茶色く枯れているものが多いようです。




seiken061202-1.jpg    seiken061202-0.jpg

散歩中神社の石碑をふと見たら、「寺門静軒」の名を
見つけました。「寺門」といってもダチョウ倶楽部の人
じゃないですよ(笑)


寺門静軒(てらかどせいけん)
 1796年、水戸藩士の子として生まれ、江戸駿河台
に「克己塾」を開くなどした。のちに「江戸繁昌記」を
書き人気を博すが、退廃した江戸文化を風刺したと
いう罪で江戸を追放されることとなる。
 追放されたことにより、諸国を渡り歩いた静軒は
妻沼聖天山を訪れ、歓喜院の住職などに引き止め
られ、「塾」を開く。
 「この家を得て宜しく老い、学ぶものは私を得て
宜しく学ぶべし」……静軒はその塾を「両宜塾(りょ
うぎじゅく)」と名付け、子弟の教育につとめた。
 晩年は娘の嫁ぎ先である大里冑山(かぶとやま)
の根岸家へ移り、邸内にて講義を行った。
 明治元年73歳で病没し、熊谷市冑山(旧大里町
冑山)の根岸家の墓所に埋葬される。
       (参考:観光ガイドボランティアのテキスト)


石碑の内容は漢文でその場では読めませんでした。
下の方が消えかかっていて写真に撮れていなかったので、
後で撮りなおしてゆっくり訳してみようかなと思います。

上部に「子来道士墓誌之銘」とあったので、静軒が生前書い
たという墓誌なのかな?




'070116 追記


.
.



『妻沼町誌 全』
(※昭和三年発行を平成七年に復刻)
P.93に「子来道士墓誌之銘」の写し有り。


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[2006/12/02 18:20] ガイド・郷土史 | TB(0) | CM(0)

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