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忍城時代まつり'06―その五 

osi061112-033.jpg  9時40分。忍城跡に建てら
  れた行田市郷土博物館の
  駐車場に車を入れて、本丸
  跡の碑を撮影。
  ちょうど太陽が真正面に来
  て、うまく撮れませんでした。




osi061112-034.jpg  osi061112-035.jpg

ここでも菊花展が開催中でした。



osi061112-036.jpg  osi061112-037.jpg

この御三階櫓(ごさんかいやぐら)の内部は郷土博物館の一部
となっています。

行田はしょっちゅう遊びに行きますが、博物館に入ったのは初
めて。思ったより広く、展示も充実していました。
忍城復元模型の周りをグルグル見てまわっていたら、博物館の
人が解説してくださいました。

博物館は静かに見学するものだと教えられてきたのですが、最
近は解説員が付いて説明してくれるところも増えているようです。
他の見学者の迷惑にならなければ、こうした取り組みもなかなか
面白いと思います。ぼーっと見ているだけでは、わからないこと
が多いですし。

で、せっかくなので「涙橋と縁切橋」の位置について質問してみま
した。

「縁切橋」「涙橋」
 石田三成の忍城水攻めで活躍した
伝説を持つ甲斐姫。その実母は政略
結婚の破綻により、甲斐姫が幼い時
離縁となった。
 離別の日、忍城の裏門を出た母親
は一つ目の橋を渡りかけたときに別
れを告げ、二つ目の橋を渡りかけたと
きにふと振り返り、涙を流したといわれ
この二つの橋はその後、「縁切橋」
「涙橋」と呼ばれるようになる。


いいお話だなぁと思って、もし名残でもあったら帰りに寄って
いきたいと位置を訊ねてみましたところ……
「この模型の外側なんですよー」とのこと。

一応場所も詳しく教えていただきましたが、碑やそういう逸話
があることを示すようなものは現在はないそうです。




その六
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[2006/11/25 18:17] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

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