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第5回真田幸村ロマンウォーク―その七 

061021-039.jpg  061021-040.jpg

楼門。
ぱっと見、新しいようですが柱と梁の色が異なっているので
重要な部分だけ残しつつ修復したのかなぁと思います。
使っている木材や日の当たり方具合でも、変色の違いが出て
くるので、断定はできませんが。

頭貫の獅子は全体的に平べったく、愛嬌のある顔をしています。
このように顔が平面的に彫られているものは初めて見ました。
時代の差なのか地域の差なのか職人さん個人の趣味や技術の
せいなのかまだまだ不勉強で、私にはわかりません……。





061021-041.jpg
  階段を上って、正面が本堂。
  ですが、上ったところにある
  門の手前で右に折れて、
  信綱公の墓所へと向かいます。



061021-042.jpg
  また坂……。  
  しかも、先ほどの階段とは比べ
  物にならないほどの急坂でした。
  この写真は墓所の前から、下に
  向かって撮ったものです。

地面に這い蹲るような感じで登りました。
まさに胸突き八丁。

真田信綱の墓 上田市指定文化財(史跡)
 真田信綱は天文六年(1537)、幸隆の長子として生まれ、
父病没の後38歳で家督を継いだが、翌天正三年(1575)、
武田勝頼に従い織田信長と長篠で戦い、弟昌輝と共に戦
死した。
 信綱の首級は、家臣白川勘解由兄弟の手により陣羽織
に包まれ鎧と共に大柏山打越寺まで運ばれ、墓前の桜の
下に葬られた。その後打越寺は、信綱公菩提所として信
綱寺と改称された。
 享保二年(1717)、寺の移築に伴い、墓所が裏山の現在
の場所に移され、婦人と共に懇に弔われている。近年、夫
妻の墓のとなりに昌輝の新しい墓が建立された。

 真田信綱 天正三年五月二十一日没 享年三十九歳
               信綱寺殿大室道也大居士
 真田昌輝 天承三年五月二十一日没 享年三十三歳
               嶺梅院殿風山良薫大居士
                      (墓前の解説より)


お墓に手を合わせ、解説に目を通しました。
昌輝公の戒名、素敵ですね。



061021-043.jpg  こちらは本堂。
  本来お墓参りをする時は、
  本堂を先にお参りしなけ
  ればいけないのですが、
  今回は順番が逆になって
  しまいました。




その八
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[2006/11/07 15:47] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

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