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ロマンウォークお疲れ様でした 

itagaki.jpg
板垣神社
'07年10月27日 撮影

上田原古戦場にはたくさんの武将たちの涙雨が降っていました。


ロマンウォークに参加された皆さん、スタッフの方々、お疲れ様でした。今年は一日目だけの参加でしたが、台風近づく雨の中20km歩くというなかなか貴重な経験をさせていただきました。

去年の30kmと比べると20kmはかなり楽でしたが、朝起きてみたらやっぱり筋肉痛が……(苦笑)
階段の上り下りの時に膝の裏と腿に痛みが走るので、千曲公園へ行く上り坂で普段とは違う筋肉を使ったんだろうなぁと推測。平地はいくら歩いても大丈夫なんですが、どうも山道は苦手で。

雨と少々の風の中、体は寒かったけれど上田の皆さんや他の参加者の皆さんの温かい心遣いに気持ちは終始ぽっかぽかでした。


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[2007/10/28 17:37] 雑記 | TB(0) | CM(0)

明日は真田幸村ロマンウォーク 

20071026221407.jpg  20071026221409.jpg

今、上田にいます。
明日は上田原へ行って、板垣のお墓をお参りしてきます。
[2007/10/26 21:50] 雑記 | TB(0) | CM(5)

私の天使が見つからない 

今月~来月小旅行だのお祭りだので出費がかさみ、新しいPC購入は年明けになることが確定しました。
今日は壊れPCの機嫌がよく、電源が落ちなかったので松代の記事を二つとこの雑記が上げられそうです。


po.jpg

「ポーション」

FF7というゲームの関連商品。
少し前に瓶入りのものが発売されましたが、今回は缶入り。
缶には登場キャラクターが描かれています。
ネットの情報ではお店ごとにおいてあるキャラクターが偏っているようで、実際に近所のコンビになど数軒巡ったところ、私のお目当てのキャラクターは一切なく……(もしかすると早々に買い占められているのかもしれませんが)涙目になりました。

今回はFF7の女性キャラクターの中で二番目に好きなユフィと某G氏を記念に購入。
私の天使(笑)は一種類しかないから、このまま手に入らずに販売終了してしまうかもなぁ。

中身のお味はどうなんでしょう。
数年前に発売されたポーションはご飯を炊いてしまう人が出るくらい、評判が高かったけれど。
一缶だけ飲んで、もう一缶は保存しておこうかと思います。
10年後に「10年前のポーションを飲んでみよう!」みたいな企画が出来たらいいな。炭酸が入っているので爆発しないかが心配?(笑)





22:45 追記

ロマンウォークの予習をしていたら、申込書の上田原合戦コースにおかしな点を発見。


後半、

石久摩神社→宮川神社→加美畑神社→上田城駐車場

という行程になっているのですが、地図で見ると宮川神社まで行ってから加美畑神社へ向かうとすると上田城駐車場とは反対の方向へ行かねばならず、どうにもおかしい。

上田市のサイトを見たら、加美畑神社はやはりカットされていました。
事前に確認しておいてよかった。
申込書が届いた時点でブログにUPしたコースの方も一応修正しておきましたが、他のコースは未確認なので必ず公式の情報を確認してください。

しかし、昨年は事前に調べようとネットで検索しても、本当に真田マニア、史跡マニアのサイトしか見つからなかったのに、今年は大河のおかげで私的にも公的にもさまざまな情報がUPされていて大変助かります。
今年は迷子にならずに完歩できそうです。


[2007/10/24 18:16] 雑記 | TB(0) | CM(2)

'07松代藩真田十万石まつり―その四 

matusiro071007-040.jpg「三太刀七太刀イベント」や「出陣式」の行われる二の丸へ向かいます。
広場が見渡せる土塁の上に登って見物です。


開会を待つ間、ここからネットでお世話になっているIさんやYさんを探して見たものの、人の多さに断念。土塁の上も結構な人で、気がついたら身動きできなくなっていました。


「三太刀七太刀イベント」は川中島の合戦の再現。
「龍」の大きな旗がある方が上杉軍。
それとにらみ合うように対陣するのが武田軍です。

石和や米沢のお祭りが有名ですが、見たことが無かったので楽しみにしていたイベントです。
やっぱり、これは川中島でやらないと(笑)
11月には勘助役の内野さんを招いてのイベントもあるようで……この日もたくさんお客さんが来そうですね。


matusiro071007-038.jpg  matusiro071007-037.jpg

信玄は本丸から二の丸へ続く橋から、謙信は本丸の裏手から登場。
私の後ろのお嬢さん方が「オヤカタサマキター!!」と騒いでいて、微笑ましかったです。
若い子に大人気ですぞオ゛ヤ゛カ゛タ゛サ゛ブァァァァ!!(笑)


matusiro071007-041.jpg  matusiro071007-039.jpg

両軍対峙。
謙信はまだ裏手で待機です。

柿崎さんと兼続が並んでいたので撮影。
我が家の屋号の元ネタの一つが越後の柿崎なのでちょっと親近感が……。柿崎もいつか行ってみたいなぁ。


matusiro071007-042.jpg  matusiro071007-043.jpg

と、そうこうするうちに一騎打ちです。
私のカメラではこれが限界。
もっとズームが利けば、二人の表情も撮れたんでしょうけれど。


matusiro071007-044.jpg騎乗での切り込みはとにかく迫力です。
これを見たら、石和と米沢のも見たくなってきてしまいますね。
(石和はともかく米沢は多分無理ですが)



ここで、後ろから「ねー、オロチはー?オロチどこー?」
という幼い声が……
「オロチはねぇ、オロチ軍の大将なんだよーなんで(ここには)武将が二人しかいないのー?」

って、思わずカメラを取り落としそうになりました(笑)
お父さん、無双は"CERO-B"12歳以上対象のゲームですよ。
なるべくなら一緒にやってあげてください。
で、歴史的な解説もしてあげてください(笑)

上田のお祭りでも感じましたが、ゲームと大河の影響で来る人が増えているみたいですね。もちろん私もその一人ですが……
[2007/10/24 17:49] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

'07松代藩真田十万石まつり―その三 

matusiro071007-032.jpg  matusiro071007-033.jpg

松代城(海津城)に近づくと人が増えてきて、お祭りの雰囲気が盛り上がってきました。
大河ドラマの影響もあってか風林火山の旗が……。


matusiro071007-034.jpg  matusiro071007-036.jpg

開会前にお城に着くことができたので、ポツポツ撮影。
白い馬は誰が乗るのかなぁ。


matusiro071007-035.jpg
真田鉄砲隊のリハーサル。
去年も同じようなところから隠し撮りしていたような(笑)




[2007/10/24 17:28] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

PCのその後 

PCは相変わらず、電源が入ったり入らなかったりの状態です。
コンセントの差し込み口の部分を手で押さえていればなんとか電力供給ができますが、長時間だとかなり高熱になって指が低温火傷してしまいそうです。

しばらく携帯電話でブログやmixiを見ることになります。
ケータイは不慣れなので、短い雑記しか書けないかもしれませんが、何かしら綴っていこうと思います。


と、ここまでで30分かかってしまいました。
どんだけケータイ苦手なんだ(苦笑)
改行ができていなくてお見苦しいことになっていたらすみません。


[2007/10/23 04:47] 雑記 | TB(0) | CM(0)

PCの電源が故障? 

ノートパソコンの電源の差込口が接触不良になって、充電できなくなってしまいました。
自力で直そうとしましたが失敗。
ちょっとした接触不良なのですが、修理代を聞いたら……新しいのを買ってしまったほうがいいようなお値段で……。

電力供給が出来ないことにはどうしようもなく、しばらくネット落ちするかもしれません。

[2007/10/20 22:21] 雑記 | TB(0) | CM(2)

サボり気味 

今日はガイドボランティアの実習がありました。
3年もやっているともっとうまくなってもいいはずなのに、なんともトホホな結果でした。
18日19日は妻沼聖天山の大祭です。ガイドもやっていますので、文化財や建造物に興味があるかたはお声がけください(が私は都合があってお休みだったり……)。

さて、気がついたらまたブログをサボっていますね。
先日いただいた某お祭りのDVDもまだ半分しか見ていないし、うーん今週は時間が上手に使えていないなぁ。気がついたら一日が終わってる、みたいな……。

もう松代のお祭りから一週間経ってしまいました。
さっさとレポを上げてしまわねば。



昨日の大河ドラマでついに由布姫が身罷ったわけですが、柴本さんの演技、とてもよかったと思います。
自然に感情移入出来、おもわず涙ぐんでしまいました。

あと、元康が出てきましたねー。
バトンタッチで雪斎が逝ってしまったけれど。
一瞬、元康が一服盛ったのかと思いました(苦笑)





[2007/10/15 18:07] 雑記 | TB(0) | CM(2)

'07松代藩真田十万石まつり―その二 

matusiro071007-015.jpg  matusiro071007-016.jpg

海善寺から歩くこと5分。西楽寺に到着です。
近くには「精密地震観測室」があります。精密地震観測室は松代大本営跡に設置された地震観測所で、核実験による人工的な地震波なども計測できる設備が整っています。
そちらも気になったのですが、施設が工事中で近づくことが出来ませんでした。

さて、今回の本命である西楽寺です。
上の写真を見るように入り口はこじんまりと小さいです。


matusiro071007-017.jpg  matusiro071007-018.jpg

山門と本堂。
本堂には立派なしゃちほこがあり、屋根の量端には菊(牡丹かも)の瓦。

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本堂の目貫の龍。
雲をたなびかせ生き生きとした表情。



まずは本堂でお参り。
本堂左手に「真田信重霊屋」の案内表示が出ていたので、それに従って墓地の中を進むと、開けた土地に出ました。

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長国寺は信之、信弘両霊屋と開山堂になっている幸道霊屋そして真田家の墓所があり、にぎやかですが、こちらは一般の墓地からも離れてポツンとたっていてうら寂しい感じです。


西楽寺は松代藩初代藩主真田信之の三男信重の帰依寺。
信重は慶安元年(1648)に武蔵野国鴻巣で病没。遺骸は同地の勝願寺に葬られ、同年西楽寺に霊屋が建てられる。
霊屋は国の重要文化財に指定。

参照:
 関谷山十二寺院 西楽寺
 松代史跡文化財開発委員会
         (案内板)


matusiro071007-022.jpg
装飾は長国寺の霊屋と違い彩色のみ。
霊獣をはじめとする彫刻は見ありませんでした。


平成9年10月~平成12年3月に修復が行われたそうで、黒漆部分は光沢が落ちてきてはいますが、顔料彩色部分はまだまだ修復した鮮やかさが残っています。


matusiro071007-023.jpg  matusiro071007-024.jpg



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霊屋全体。
南側より撮影。



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修復から7年。
周りには何も無くもろに風雨に当たってしまう状態ですが、かなり綺麗に残っています。
昨年写真に収めてきた真田信之霊屋は修復から30年近く経ち、漆が剥げて部材が見えている箇所がチラホラありました。
両者の比較をすると劣化の進み具合が見えてきます。


matusiro071007-028.jpg  matusiro071007-029.jpg


修復工事を行った会社:さわの道玄
  http://www.sawanodogen.com/
参考:文建協 建造物保存アーカイブ
  http://archives.bunkenkyo.or.jp/



今度は松代の中心部へ向かいます。
バスで2駅分を歩いていきます。
松代は文化財が多いですが、一般の家にも蔵が多く見られるとても素敵な町です。
戦争が長引いて松代に大本営が設置されていたらこれもどうなっていたか分かりませんが……。


matusiro071007-030.jpg  matusiro071007-031.jpg

大英寺。
すぐ近くに長野市役所の支所があります。
時刻はちょうど午前10時30分。予定より30分早く着いてしまいました。
これならもう少し白鳥神社を見ていられたかなぁと残念に思いつつ、小松姫の菩提寺をお参りします。

小松姫は本多忠勝の娘で真田信之の妻。
武州鴻巣で亡くなった小松姫は上田の真田家の菩提寺である常福寺(現在は芳泉寺)に葬られ、墓と霊屋が立てられましたが、真田家の松代転封により霊屋と鐘楼をこの地に移したそうです。
(お墓は上田に残っています)
明治維新の時に寺の縮小に伴い、霊屋が本堂として移築されて今に残っています。
(参考:石碑「大英寺の歴史」)

小松姫は徳川から嫁入りしたことから、関連するところには必ず葵のご紋があります。
本堂の内部は極彩色が施されていますが、市教委の案内板によると天明5年(1785)の修理の時のものとか。
真田家霊屋中最も古い建物なので、明治期の移改築が無ければこれも重文指定されていたかもしれませんね。


ちなみに小松姫、真田信重親子は奇しくも同じ鴻巣の地で最期を迎えています。
鴻巣市勝願寺には小松姫と信重夫妻のお墓があります。



次はいよいよ松代城です。
[2007/10/11 21:28] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(2)

'07松代藩真田十万石まつり―その一 

matusiro071007-098.jpg
松代藩真田十万石まつり
 2007年10月7日
 長野県長野市松代

以下、おまつりと松代の史跡巡りの記録です。
あやふやな部分もありますが、ご了承ください。
間違い、勘違いを見つけられたらコメントやメールでお知らせいただけるとありがたいです。
また、写真の掲載などで問題がありましたらご連絡ください。





昨年に続いて二回目の「松代藩真田十万石まつり」です。
松代を訪れるのはこれで三回目……だったかな。

今年はお祭り前に「白鳥神社」と「西楽寺」そして「大英寺」を巡る予定で家を出発。
長野駅で新幹線を降り、松代行きのバスに乗り込みました。
バスは川中島古戦場を通って松代駅前へ。
本来ならここで降りるべきですが、私はそのまま終点の松代高校へ。
そこから徒歩10分。白鳥神社の鳥居前に到着です。

matusiro071007-000.jpg  matusiro071007-001.jpg

鳥居の前に自動車と男性が三人。
「先客かぁ」と近づいていくと、

「見える、見えるぞ!」
「ほんとだ。すげぇ」

となんだか騒がしい。
何が見えるのかと彼らのほうを見てみたら、びっしょり濡れた背中から湯気が。肌寒さを感じるくらいの気温で汗だくって……。
嫌な予感を感じつつも参道へ。


matusiro071007-002.jpg  matusiro071007-003.jpg

参道というか山道です。
小山の中腹にあることは了解していましたが、登るかどうか一瞬躊躇。
距離は300mと短いですが、ゆっくりゆっくり登っていかないと足も息も大変。
斜面は舗装どころか石段もなし。雨が降った後だと登れないかもしれません。
これはいい登山。休み休み登ってもうっすら汗をかきました。


社殿の前まで来ると石段が現れます。
思ったより開けていますが、山の中ということもあり、海野宿の白鳥神社より雰囲気に重みがあります。
正面向かって右に神厩舎。左に絵馬殿があります。


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神厩舎の木造神馬と絵馬殿。
この神社を訪れた一番の理由がこの神馬を見ること。
けやきの寄木造で全身の細かい毛まで彫られたこの馬は、諏訪の名工、立川和四郎富昌によるもので、長野市文化財に指定されています。
白鳥神社に置いてあった由緒によると嘉永二年(1849年)に真田幸貫公が富昌に作らせたとのこと。

【小沢家】(「彫刻師系図」文化財建造物保存技術協会編著より)
 常信(小沢五右衛門)―常足(古沢三重郎)―和四郎

和四郎……常足門人、信州諏訪、立川和四郎富棟(初代)
                           |
                     立川和四郎富昌(二代)

立川和四郎富昌という人物は諏訪立川流彫刻を確立し世に知らしめた人物で、信濃国一宮「諏訪大社」の彫刻はこの一門が手がけています。

文化財ということでフラッシュ撮影を控えたため、見にくい写真となってしまいましたが、よく見ていただくと本当に細かい毛まで彫られているのが分かるかとおもいます。
実物はもっとリアルで今にも動き出しそうでした。


matusiro071007-006.jpg白鳥神社拝殿
惣門がしっかりと閉じられていたので、隙間から撮影。


matusiro071007-007.jpg  matusiro071007-008.jpg

蛙股には六文銭。瓦には結雁金。
共に真田の紋所ですね。


matusiro071007-009.jpg  matusiro071007-010.jpg

脇から撮影。
手前が拝殿で一段高くにあるのが本殿上屋。

白鳥神社(しろとりじんじゃ)
松代藩初代藩主真田信之が元和八年(1622)上田より松代に移封された時、祈願所であった開善寺を松代に移したのに続いて寛永元年(1624)9月、現在の位置に神社を建立。

祭神:日本武尊、貞元親王、貞保親王
御相殿:武靖大神 真田家
末社:忠重霊神 鈴木右近

建てられて後、二回ほどの改築が行われ、八代藩主真田幸貫公のときに完全に出来上がる。
また建築は久能山東照宮を模した造りといわれる。

「白鳥神社の由緒」より

春に訪れた海野宿の白鳥神社はここの元になる神社です。
上田真田まつり―その一に写真を載せています。
松代へ移されたときに日本武尊もちゃんと連れてきてもらえているだろうかと心配していましたが、どうやら大丈夫だったみたいです。

お祭りの成功をお祈りして、社殿を後にしました。


matusiro071007-011.jpg  matusiro071007-012.jpg

登ってきた坂道を下りるわけですが……こ、怖い。
登り以上にゆっくり足を運ばないと、転がり落ちそうです。
ふと足を止めて前方を見ると、眼下に街がひろがっていました。中央の水門から推測するに松代城は右側の木の奥になると思います。
ずいぶん上のほうまで上がったんだなぁ。

参道入り口付近の灯篭。
恩田民矩、民祇の名が見られます。
松代藩の家老を勤めた恩田木工(恩田民親)の子孫かしら?


次は西楽寺へ向かいます。

matusiro071007-013.jpg  matusiro071007-014.jpg

途中、六文銭を頂いたお寺を発見。
当初の予定には無くてどうしようか迷ったのですが、何か呼ばれているような気がして寄り道。
海野郷海善寺村→上田の鬼門よけとして鎮護→真田氏松代移封に伴い移転、真田家の祈願寺として現在に至る。

本堂は慶安三年(1650)建立
本尊は地蔵菩薩(開基 滋野法親王を等身大に刻んだもの)

「当寺の由来」(開善寺文化保存会)より

ここの情報を全く持っていなかったので、(信心の人や檀家さん以外はNGのお寺も多いのでトラブルを避けるため)入山はせずに山門の前に「当寺の由来」と題した案内だけ読んできました。
白鳥神社の由来にも書かれていましたが、どうやらここは白鳥神社の別当のようです。

そして「当寺の由来」の最後に唐突に
大聖観喜天尊は尊海が江戸品川の海中より光の発するを見てこれを持ち帰って祀ったものと伝えられ霊験まことにあらたかな秘仏である。
(※尊海は開善寺の初代住職)
と……
一瞬目を疑いました。まさかこんなところで聖天様に出会うとは。「観喜」となっていますが、たぶん「歓喜」の誤植ですよね。
呼ばれたのはこれだったみたいです(笑)

典厩寺に聖天様がおまつりされている事は知っていましたが、近くにもう一つあるとは。松代近辺の聖天信仰について興味が沸きました。
尊海と品川の関係や歓喜天を持ち帰った詳しい経緯を知りたいところです。(案内には本当に唐突にこれだけしか書かれていなかったので)


寄り道していて、予定の時間を過ぎてしまいました。
早足で本来の目的地、西楽寺へ。
西楽寺の様子は「その二」で詳しく書きます。






[2007/10/10 00:04] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(4)

レポがたまっている件 

林正清・正信について」一つ下にUPしました。
ご質問してくださった方、これでよろしいでしょうか。
明日起きてから落ち着いて見直すつもりですが、急いで書いたので誤字脱字等あったらすみません。

このブログを見ているガイドボランティアのメンバーの皆さんへ
正信について資料が見つからなかったので、コメント欄で補足していただけるとありがたいです。間違いの指摘もお願いします。(一人じゃ不安なもので)








nobu.jpg  tono.jpg


昨日の写真を整理、加工。
お天気だったのでよく撮れているかと思いきや、お天気過ぎて白っぽくなってしまっている写真多数。修正に画像ソフトが大変役に立ちました(苦笑)

左は真田信重霊屋
右は真田家御当主様


7月の祇園祭のレポがいまだにUPできていないのですが、松代の方を先にあげる予定です。
もう、京都の記憶は薄れている……(遠い目)



[2007/10/09 00:07] 雑記 | TB(0) | CM(2)

松代から帰ってきました 

matusiro071007ex.jpg
皆様お疲れ様でした。
おまつりはお天気にも恵まれ大成功だったのではないでしょうか。



matusiro071007ex01.jpg
私は松代のおまつりに来たはずがなぜか登山をしていました。本気で死ぬかと思った……


詳しくはまた後で。
とにかく眠いので、大河を見て今日は休みます。












動画




[2007/10/07 20:06] 雑記 | TB(0) | CM(0)

おまつり行ってきます 

明日はいよいよ松代のおまつりです。
寝坊しないようにしなくちゃ。
行かれる方は(私含めて)気をつけて楽しんできましょう!
今年は殿がいらっしゃるそうなので、個人的にはそれが一番の楽しみです。






明日の準備をしながら「ガンダム00」を視聴。
ガンダムは“ながら見”ではやっぱりだめですねー。
何が何やら、話しが分からん。
高河ゆんの絵柄はおばちゃんには懐かしかったけれど、色の塗り方がのっぺりしていて、「あぁ、今はアニメ絵はこういうのが流行りなんだねぇ」なんて感慨深く画面を見つめてしまいました(笑)

子供の頃はアニメを見ながら夕飯を待っていましたが、今はもう夕飯を作る立場なのでここ数年はまともにアニメ見てないですね。
深夜は眠いし……。来週は見られるかしら。






本日、林兵庫正清と林兵庫正信についてのご質問をいただきました。
コメント欄でお返事しようと思ったのですが、後で一つちゃんとした記事としてUPしようと思いますので、そちらをご覧になってください。
(明日、明後日と出かけてしまうのでしばしお待ちください。よろしくお願いします)

[2007/10/06 18:47] 雑記 | TB(0) | CM(0)

本日訪れた場所 

07-10-04_10-37.jpg  07-10-04_11-12.jpg

台東区生涯学習センター内にある「池波正太郎記念文庫」
合羽橋で用事を済ませて、駆け足でここへ。
合羽橋は年に数回来るのですが、この場所を訪れるのは実は初めて。
図書館の中に併設されているので上田の真田太平記館と比べると狭いですが、池波先生の書斎が復元されていてそれを見ているだけであっという間に時間が経ってしまいました。


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築地に移動して
「うおがし銘茶 築地新店」


ちょうど10周年記念のイベントが行われていて、たった500円で祝い酒、静岡県茶品評会の入賞茶、軽いお食事、お茶とデザートを頂くことができてびっくり。


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ブラブラ歩いて、次は歌舞伎座脇の「鳴神」という日本茶カフェ。
八女の玉露を頼んだら、四煎目を飲み終えたところでポン酢(とお箸とお小皿)が登場。そうそう、八女ではお茶を入れた後の茶殻をポン酢でいただくんですよね。ちょっとあこがれていたので凄くうれしかった。一口食べてみて、感動!
ポン酢もいいものを使っているようで、口にした瞬間さわやかな香りとお茶の甘みがふわっと広がって、噛み締めるうちに良い具合に苦味が出てきて二度も三度も美味しい。
無粋と怒られてしまうかも知れませんが、炊きたてご飯が欲しくなりました(笑)
私が行った時は空いていましたが、芝居が跳ねた後は混むそうです。
お茶をゆっくり味わうには歌舞伎の上演中がいいかも。


07-10-04_16-28.jpgここまできたのだからと、歌舞伎座からもう少し足を延ばして銀座の「佐人」へ。

今回は高千穂の煎茶をいただきました。
甘みが強く玉露に近い味で好みかも。
雑誌などでは「文化人の訪れる店」として紹介されているようですが、今日は有名な料理評論家の方や歌舞伎好きのご婦人がいらっしゃっていました。私も文化人になったような気分になれて面白かった(笑)



しかし、月イチで一杯500~1000円のお茶を飲み歩いていたら、身上がつぶれますね(苦笑)
まぁ、お酒も煙草も呑めない体質なのでこれくらいの贅沢はいいかなぁと思いますが。

[2007/10/04 23:23] お店・食べ物 | TB(0) | CM(3)

松代とか上田とか行田とか 

071003.jpg家の方が暇になったと思ったら他の事で色々出歩いたりなんだりとしていて、やっぱりゆっくり出来ません。

今日は市役所の本庁の懇談会にお邪魔しました。
明日は浅草のほうで用事があって出かけなければならないし、7日の準備が未だに出来ていないんですが……(汗)
とりあえず今年は新幹線で長野駅に着いたら松代行きのバスに乗って終点までぶっち切り、お祭り前にちょっと小山に登ってくるつもりです。
松代の白鳥神社がまさかあんなところにあるとは。
そして信重の霊廟と小松殿の霊廟をお参りして……お祭りに遅刻する予定です。ですが未定です。

上田のロマンウォークも前日の午前中入りが不可能になりました。
午後だと手塚調査は無理かなぁ。
もう一泊して日曜日に手塚に向かう手もありますが。

そしてそして、今日の市役所にて11月11日の忍城のお祭りに時代まつりとは別のイベントで参加することが確定。
といっても私は変わらず時代まつりメインで行くのですが、会場に地元の知り合いがいるのは恥ずかしいかも(苦笑)


と、とにかく日曜日の準備をしなくては。
お天気は今のところ心配しなくて大丈夫っぽいので、あとは自分だけなんだなぁ(焦)
[2007/10/03 22:03] 雑記 | TB(0) | CM(2)

歴史を伝える 

先日、郷土史の先生のお供をして、地元の小学校へ行ってきました。
6年生が課外授業で郷土の歴史を学んでいるそうで、そこへ私も生徒としてお邪魔させていただきました。
テレビで言われているような学級崩壊など全く無いとてもいい生徒さんたちで、彼らがこれまでに調べてきた町の歴史を見せてもらいましたが、想像以上に内容が濃く、しっかりしたものが出来上がっていました。
私のPC内にある郷土史フォルダより充実しているかも(苦笑)

「子供は尾ひれはひれをつけないからいいんねぇ。大人は尾ひれをつけるからそこがいけねぇん」と子供たちの書いた模造紙を眺めながら先生が仰っていましたが、本当に正直な良いまとめをしていました。

45分の授業が延長して90分。
大学の講義と同じ時間かかったのにもかかわらず、子供たちは一生懸命先生の話を聞いていました。子供たちも偉いけれど、やはり話す側の話術というのも大いに関係するわけで……

「次はあんた達がやるんだよぉ。学校の先生にも言ってあるからお願いしますねぇ」

なんて言われて、慌てました。
次からって……無理ですよ(涙目)


授業の内容は、古代~江戸時代までの学校周辺の歴史について。
すぐ北側に利根川が流れるこの一帯は古代の遺跡が殆ど見つかっていない。しかしながら調査によって一年間に1mm土が堆積することが分かっており、1000年前なら1m下。2000年前なら2m下に昔の地面が埋まっていること。そして、それよりも深い場所はまだまだ発掘が進んでいないのでこれから何かが見つかるかも知れないというお話しが印象に残りました。
これを聞いた子供たちの中に町の歴史の発掘に関わるような子が育ってくれるといいな……と。多分、先生もその種まきをしているのだと思います。











今回訪れた学校の学区内に忍城水攻めの時に石田三成が水を引き入れたという伝説の残る場所があるのですが、その話しもチラッと出ました。
「『出来島村詩』と『男沼村誌』に詳しくあるから皆さん読んでくださいねぇ」とのこと。

帰宅して慌てて『男沼村誌』を確認。
『男沼村誌』間々田見聞の項

「天正十八年(1590)豊臣秀吉関東平定の際、東海道を下つた本隊と別に中山道を下つた石田三成、前田利家、真田昌幸らの一隊は……」

ここで違和感を覚える




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誰?

「 幸 田 真 幸 」って誰ー!
しかしこれをナチュラルに「さ な だ ま さ ゆ き」と読んだ私もどうかと。

切れ所から忍城までの水道の詳細を知りたかったのに、これが気になって気になって。こういう表記があるのか、昌幸とはまったく別の人なのかとか……(苦笑)

村誌には取水口といわれている場所から忍城まで、利根川の水が流れたであろう場所の推測がされているので、暇な時にでもそれをたどって写真を撮ってこようかなぁなんて思っています。



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