スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[--/--/-- --:--] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

来年のご予定は? 

tuki061130-0.jpg  tuki061130-1.jpg


4月15日かぁ……。
無理そうだなぁ……。
でも、これ逃したら一生行けなさそうなんだよなぁ……。
(mixiで石和のお祭りの参加者募集のお知らせが出ていて、そ
の日程を知りました。いや、行けたとしてももちろん一般見学で
すが)

他人様が働いている時は暇なんですが、お休みの時は何気に
忙しいので、土日祝祭日のイベント事にはなかなか行けないの
です。今年は無理を言って色々出歩きましたが、これからガイド
の活動が活発になってくればますます難しくなりそう。

泊りがけの旅行は必ず平日。
この間のロマンウォークが生まれてはじめての土曜宿泊でした。
(カレンダーを見たら、色々あって5年先までロマンウォークも
行けなさそうです。今年行っておいてよかった……)

来年の夏は人生最初で最後の京都の祇園祭へ行く予定。
6年前の貴重なチャンスを逃して、7年越しの平日開催。
雨が降ろうが槍が降ろうが行かないと、一生後悔することになり
そうです。


平日は5日もあるんですけれど……でも、土日前の金曜日は
フラフラ出歩けないし、月曜日はがんばれば出られるけど、
やはり火、水、木曜日の3日間に絞られてしまうのです。

高野山、四天王寺、大崎八幡、片山津温泉、篠原古戦場、
多太神社etc.etc....

行きたいところが多すぎる。
国内ですら回りきれないのに、海外旅行なんて夢のまた夢。
パスポート申請すらしたこと無い(苦笑)

まぁ、閑散期の平日はお宿も電車も少々安く、観光地に人が溢
れているようなことも無く、ゆっくり神社仏閣巡りができるのが利
点ではありますけれど。

スポンサーサイト

[2006/11/30 23:00] 雑記 | TB(0) | CM(2)

水場 

ginko061129-0.jpg  今日は「荻野吟子記念館」
  でガイドをしました。
  群馬から45名ほどのご婦人を
  お迎えし、ご案内しました。
  お天気も良く、日が当たる所は
  暑いくらい。

見学後は赤岩の渡しに乗って、千代田町の光恩寺へ。
私は渡船場の所まで皆さんを見送りにいきましたが、今日くらいの
気候だと川を渡るのにちょうどいいですね。みなさん、とても楽しそ
うにしていらっしゃって、一緒に乗っていきたくなってしまいました。

上の写真は吟子館の裏手から撮った利根川。
左端に見える山は赤城山です。
吟子女史の生家の敷地は約1800坪。記念館のある所から、この
河川敷の半分近くまであり、長屋門、四棟の蔵、大きな母屋など
が建っていました。





ginko061129-1.jpg  ginko061129-2.jpg

土手の反対側。
記念館の東側には福川の水門。南側には福川の土手が見えま
す。ちょうどこの場所は利根川と福川という二つの川がぶつかる
場所なのです。

もちろん昔は大きな堤防など無く、むしろ大洪水の折には行田
の忍城、果ては江戸を守るための遊水地として設定されていた
そうです。

それでも人は住んでいました。
洪水の無い時は利根川は多大な利益をもたらします。
現在のように自動車や電車の無かった頃、川は大量輸送の大
動脈として大変活躍していました。江戸からこの葛和田の河岸
まで、50石~100石の大きな船が行き来し、川が浅くなるここか
ら先は小さい船に荷を積み替えて運んでいたそうです。

吟子女史の生家はこの地で舟問屋として、隆盛を極めていまし
た。道路や鉄道交通が発達した現在、川は静かに流れるのみ。
その川面にいくつもの帆掛け舟が行き来する様子を思い浮かべ
てみる秋の日の午後……うん、今日は本当に良い日でした。

ちなみに空っ風が吹いている日にここに来たら、風に煽られて
土手から転げ落ちるので、要注意(笑)

[2006/11/29 18:11] ガイド・郷土史 | TB(0) | CM(0)

観光ボランティアガイド養成講座―最終回 

syuryosyo061128.jpg

県主催の「観光ボランティアガイド養成講座」、どうにか修了証
をいただくことができました。

県内のさまざまなガイドさんとともにディベートしたり、実習した
りする中で、普段のガイドでは得られない情報、考え方、ガイド
法などを学ぶことができました。

今回の講習をこれからの活動に生かせるようがんばりたいと
思います。また、こういった機会があればなるべく積極的に
参加していきたいですね。

さて、講習会の内容を事務局へあげなければならないので、
これからレポート書いてきます。
明日もガイドがあるので、今日中に終わらせないと……(焦)
[2006/11/28 20:32] ガイド・郷土史 | TB(0) | CM(0)

日記 

今日は午前中、宮大工さんをはじめとする伝統建築を手がける
大工さんをご案内しました。
皆さん専門家の中の専門家なわけで、私がお話しできることなど
ほとんど無く、反対に色々教えていただくことばかりでした。

で、午後は市役所での会合に参加。
せっかく市の中心部へ行くというのに、今日は月曜日で図書館は
お休み。ちょっと見たい本があったんだけどなぁ。
またの機会にお預けです。

帰りにデパートへ寄って、牛肉と下仁田ネギと白滝と焼き豆腐を
購入。肉鍋というともっぱら我が家では豚肉、深谷ネギなのです
が今日は意味も無く奮発してみました(笑)



sibako-nikko.jpg


ご飯を食べたら、「司馬光とその時代」(木田知生/白帝社)を
読む予定です。「司馬温公甕割りの図」を説明するのに、
「司馬光」について何も知らないのではまずいので(汗)
世界史と古典で「資治通鑑」を編纂した人というのは習った
記憶がありますが、資治通鑑が何なのかもよくわからん(笑)
むぅ、これはいけませんね。


[2006/11/27 18:15] 雑記 | TB(0) | CM(0)

エンパ嫌ーズ 

「戦国無双2エンパイアーズ」(しかし長いタイトルだ)
まず御屋形さま(武田信玄)で天下統一してみました。
とにかくやり方がわからなくて、難易度「天国」でも汲々状態。

でも、光秀捕縛時の「くっ、縄が……食い込むっ!」という台詞
が聞けたので、まずは満足といったところでしょうか。

柴田勝家の「ワシを縛って何をする気じゃあ!」とか、ゲームの
方向性間違っているとしか(苦笑)
お前は何を期待しているんだ、勝家……。

戦略カードとかもう少し上手く使ってみたいですね。
もう二、三週やればなんとかコツがつかめるようになるかな。




柿の皮  柿の皮。
  これを干して、沢庵漬けの中に
  入れると沢庵に自然の甘みが
  付きます。
  これからもっと寒くなったら、
  糠床にはお休みしていただいて、

沢庵と白菜の漬物が我が家の食卓で活躍します。
現在、白菜と大根が豊作で一部では廃棄処分になっているとか。
でもそういうときに限って、うちで白菜漬ける時期になると今度は
不作になりそうで……ちょっと不安だったりします。



[2006/11/26 22:22] 雑記 | TB(0) | CM(0)

忍城時代まつり'06―その一 

2006年11月12日(日)
埼玉県行田市で「忍城時代まつり」が行われました。
以下、その様子と戦国時代忍城城主だった成田氏に関連する
史跡などをご紹介いたします。
写真はクリックするとちょっとだけ大きくなります。

勘違いや勉強不足で間違ったことを書いているかもしれません。
お気づきの点ございましたら、コメントやメールフォームからお知
らせください。

また、写真などの掲載で問題がございましたら、同じくご連絡いた
だけるとありがたく存じます。

それでは、どうぞ。







前日に雨が降り、冬型の気圧配置となったこの日。
冷たい北西の季節風に吹かれながらまず向かったのが、
熊谷市にある「成田氏館跡」



osi061112-000.jpg  成田氏館跡の前を通る
  道は一方通行で細い為、
  近くの成田公民館の駐
  車場に車を置かせても
  らい、徒歩で碑の立つ
  場所へ向かいます。

道を挟んで成田公民館の向かいには成田小学校があります。
そう、ここは「成田氏」発祥の地。


 成田氏は、武蔵七党横山党所属。平安時代中ごろ
から熊谷市上之(かみの)堀之内を中心に居住した
武蔵武士で、戦国時代には関東の名族として知られ
た。
 平安中期、武蔵守となった藤原忠基を祖とし、系譜
には5代助高が「成田太夫」と記されている事から、
助高の時代(1060年代)に成田の地に移住したことが
推測される。
 時代は下り、成田親泰の時代。親泰は山内上杉と
謀り忍氏を討ち、1491年その地に忍城を築いた。
(※築城は親泰の親、顕泰によるとする説もある)

     (参考・参照「成田記」「埼玉郷土辞典」
     「埼玉県の歴史散歩」「埼玉の城址30選」)




osi061112-001.jpg  osi061112-002.jpg

下調べをしている時に「石碑以外それらしいものは何も無い」
という記述をたびたび見かけたのですが、本当に何も無い(笑)

幸い道路に面していたので、すぐに見つけることができました。
熊谷市設置の「史跡成田氏館跡」の側面には説明文が書かれ
ていますが、8割がた消えていて判読不能でした。




成田氏館跡から北へ、国道17号バイパスを横断すると
「龍淵寺」というお寺があります。

osi061112-003.jpg  osi061112-004.jpg

龍淵寺は成田氏の菩提寺です。
「成田記」が保存されているのもこのお寺。

龍淵寺(りゅうえんじ)
開創:室町時代 応永18年(1411)
宗派:曹洞宗  本尊:釈迦如来
開基:成田氏中興の祖、十二代成田左京亮家時
    忍城主成田家代々の菩提寺
                  (龍淵寺案内より)





山門をくぐって本堂へ向かうと、少量ながらも見事な菊が飾ら
れていました。

osi061112-008.jpg  osi061112-005.jpg

案内にちょっと面白いエピソードが書かれていたので、ご紹介。

徳川家康と龍淵寺
 家康公が鷹狩の折、当寺の山号「太平山」は吉瑞
なりと立ち寄ったところときの住職呑雪和尚(十二世)
は、家康公の手習いの相手を務めた幼なじみ「種松」
であったことから、その奇遇を喜び寺領の寄進を申
し出た。
 ところが、呑雪和尚「出家の身は財多きを喜ばず」
と断ったが、翌年、家康公から「心おきなく修業がで
きるように」と百石の御朱印(御判物)を賜る。
これより寺門大いに興隆し、一大叢林となる。

家康の鷹狩好きは広く知られていますが、こっちの方まで(笑)
家様の出没状況を調べたら、時代劇の水戸黄門も真っ青な移動
距離と御朱印の乱発具合になりそう。

ちなみに、光圀の生きた年数とドラマでの移動距離から移動
速度を換算すると、あのご老公は光の速さを超えるスピード
で歩いて(!?)いることになるそうです(苦笑)




osi061112-006.jpg  osi061112-007.jpg

このお寺には幕末から明治にかけて活躍した女流画家、
奥原晴湖(おくはらせいこ)のお墓もあります。
奥原晴湖は山内容堂や木戸孝允の知遇を得て、南画の
独自の画風を展開しました。




その二
[2006/11/25 18:18] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(4)

忍城時代まつり'06―その二 

osi061112-009.jpg  osi061112-010.jpg

続いては、石田堤です。
天正18年(1590)の忍城攻めの際、石田三成が築いた堤の一部
が今も行田市と鴻巣市(旧吹上町)の境目付近に残っています。

上の写真は行田市の部分。
幕末に立てられた「石田堤碑」とそこから南東に50mほど行った
所に教育委員会設置の案内があります。

案内板の裏側には碑に書かれた文章が書き起こされているので
すが、松の木が風にあおられ頭にブスブス刺さって、じっくり読ん
でいられませんでした。痛かった……。




osi061112-011.jpg  osi061112-012.jpg

こちらは、鴻巣市(旧吹上町)側。
側……というか、行田からずっと続いているのですけれども。
今はこのあたりしか残っていませんが、当時は熊谷まで土手が
続き、荒川堤までつながっていたとか。

元からあった自然堤防を利用しつつの築堤とはいえ、凄い事を
したものです。




上越新幹線と交差する形で「石田堤史跡公園」が整備されてお
り、以下のようなパネル展示がされています。

osi061112-013.jpg  osi061112-014.jpg

豊臣秀吉の朱印状。
昨年来た時、榊原康政が浅野長吉に送った書状しか撮ってい
なかったので、今回は全て写してきました。
家に帰ってよく見たら「真田」の文字発見。

この公園、ちょっと問題がありまして……駐車場が無いのです。
それでいて高架を支える柱には「警察官巡回地点」の立て看板。
何かの罠ですか?

すぐ近くに市民プールがありますが、11月に空いているわけも
無く……せっかく整備したのにこれではゆっくり見ることもでき
ないですよ。ま、見に来る人なんていないか。




osi061112-015.jpg  ここで面白いのが、堤の
  断面が見られるところ。
  レプリカですが、築堤の
  様子がわかるようになっ
  ています。



osi061112-016.jpg  osi061112-017.jpg

堤の側面と上部の様子。
利根川のスーパー堤防と比べれば、たいした事はない大きさで
すが、400年以上前に人力でわずか一週間で作られたことを考え
ると、「エラいことしたもんだなぁ」と思わずにいられません。




osi061112-018.jpg  行田市堤根。
  「つ」が一つ落ちちゃってます
  が、「つつみね」です。
  堤があったところを沿うよう
  に北上し、次はさきたま古墳
  へ向かいます。




その三
[2006/11/25 18:18] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

忍城時代まつり'06―その三 

osi061112-019.jpg  osi061112-020.jpg

史跡 埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)
 大型前方後円墳4基、中型前方後円墳4基、
大型円墳1基、方墳1基と中小の円墳で構成
される。
 5世紀後半~7世紀中期ごろ形成され、
「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん・国宝)」
の出土した稲荷山古墳、国内最大級の円墳、
丸墓山古墳などが知られる。


ここも公園になっており、散歩するのにもってこいの場所。
鉄剣などの出土品は「埼玉県立さきたま資料館」に展示されて
います。




osi061112-021.jpg  今回の目標は「丸墓山古墳」

  直径102m、高さ18.9m
  (案内板より)という大きさ。
  ちょっとした小山です。




osi061112-022.jpg  osi061112-023.jpg

結構急な坂です。




osi061112-024.jpg  osi061112-025.jpg

北に浅間山。
南にはなんと富士山が!
確かに眺めはいいですね。




その四
[2006/11/25 18:18] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

忍城時代まつり'06―その四 

osi061112-026.jpg  osi061112-027.jpg

西の方角には幽かですが、肉眼で忍城を望むことができます。
関東平野のなにもない所で見晴らしが利くこの場所はなんとも
魅力的です。
ただ、ちょっと目立ちすぎるかなぁとも……。あまりはしゃいでい
ると何とやらと煙は上にのぼりたがると言われてしまいそう(笑)




osi061112-028.jpg  osi061112-029.jpg

東を向くと古代蓮の里の展望台が見えます。古代蓮の里では
夏になると、早朝から昼にかけて綺麗な蓮の花を見ることがで
きます。




osi061112-030.jpg  osi061112-031.jpg

左の写真は丸墓山古墳から見下ろした石田堤跡。道になって
いるところがそうだとか。

右は鉄剣が出土した稲荷山古墳。こうして撮るとテオティワカン
の遺跡みたいです。




osi061112-032.jpg  丸墓山の上で、三成の気分に
  浸って、忍城へ攻め入ります。
  あれ?忍の殿様の庇護を
  受けた地域に住んでるのに、
  なんで寄せ手になってるんだ
  ……

お城を守りに行かなくちゃ駄目じゃないか!(笑)




その五
[2006/11/25 18:18] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

忍城時代まつり'06―その五 

osi061112-033.jpg  9時40分。忍城跡に建てら
  れた行田市郷土博物館の
  駐車場に車を入れて、本丸
  跡の碑を撮影。
  ちょうど太陽が真正面に来
  て、うまく撮れませんでした。




osi061112-034.jpg  osi061112-035.jpg

ここでも菊花展が開催中でした。



osi061112-036.jpg  osi061112-037.jpg

この御三階櫓(ごさんかいやぐら)の内部は郷土博物館の一部
となっています。

行田はしょっちゅう遊びに行きますが、博物館に入ったのは初
めて。思ったより広く、展示も充実していました。
忍城復元模型の周りをグルグル見てまわっていたら、博物館の
人が解説してくださいました。

博物館は静かに見学するものだと教えられてきたのですが、最
近は解説員が付いて説明してくれるところも増えているようです。
他の見学者の迷惑にならなければ、こうした取り組みもなかなか
面白いと思います。ぼーっと見ているだけでは、わからないこと
が多いですし。

で、せっかくなので「涙橋と縁切橋」の位置について質問してみま
した。

「縁切橋」「涙橋」
 石田三成の忍城水攻めで活躍した
伝説を持つ甲斐姫。その実母は政略
結婚の破綻により、甲斐姫が幼い時
離縁となった。
 離別の日、忍城の裏門を出た母親
は一つ目の橋を渡りかけたときに別
れを告げ、二つ目の橋を渡りかけたと
きにふと振り返り、涙を流したといわれ
この二つの橋はその後、「縁切橋」
「涙橋」と呼ばれるようになる。


いいお話だなぁと思って、もし名残でもあったら帰りに寄って
いきたいと位置を訊ねてみましたところ……
「この模型の外側なんですよー」とのこと。

一応場所も詳しく教えていただきましたが、碑やそういう逸話
があることを示すようなものは現在はないそうです。




その六
[2006/11/25 18:17] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

忍城時代まつり'06―その六 

osi061112-038.jpg  osi061112-039.jpg

博物館をゆっくり見てまわって、時刻は11時過ぎ。
お昼は閑居でいただこうと、てくてく歩いていきます。

写真は閑居の裏手、昔の足袋蔵を改装してギャラリーにした
「門(かど)」と「設計事務所」。蔵の感じがとてもいいでしょう?
ギャラリーの内部はもっと素敵なんですよ!

写真を撮っていて気づいたのですが、どうやらお休みのよう。
よく考えたら、第二日曜はお休みだったんだ……。
もしかするとお祭りのほうの手伝いに行ってるかもしれません。
こちらのご主人はNPOぎょうだ足袋蔵ネットワークで活躍され
ている方なので。




osi061112-040.jpg  で、お祭り会場に戻ります。
  街の商店がテントを張っ
  てお店を出していました。
  上記NPOがやっている
  忠次郎蔵そば店もここに
  出店していました。

テントが両側にあり道幅が狭くなっているため、ゆっくり見てまわ
る余裕がなかったのが残念。とりあえず帰りに買うものだけ目を
つけて退散しました。

その後、行田市産業文化会館の前をいったりきたり……。
甲冑隊の皆さんがこちらに集合していると、マイミクでこのブログ
にもよくコメントしてくださる石野さんに教えていただいたものの、
超~部外者なので入り難い(苦笑)




ウロウロしているうちに「12時よりジャンボフライを作ります」との
放送が……。
これは面白そうだと早速、会場へ向かいます。

フライとは……行田近辺の人ならよくご存知かと思いますが、
簡単に言えば、お好み焼きのようなものですね。って、Wikiに
フライの項目がある!!
フライ」ついでに「ゼリーフライ」もどうぞ(笑)

osi061112-041.jpg  osi061112-042.jpg

今回のジャンボフライは直径3mの鉄板で焼かれるとか。
開始前に出来上がったフライをもらえる整理券を配っていまし
たが、あっという間に配布終了。恐るべしフライの人気。

生地はご覧の通り、ゆるくてお好み焼きというよりクレープに
近いと評する人もいます。

「ポリバケツかよ荒っぺぇなぁ」(by 隣にいたおじさん)


osi061112-043.jpg osi061112-044.jpg

「あのトンボは野球部のグラウンドから持ってきたんかい?」
(by 隣にいたおじさん)

ちょっ、おじさん!(苦笑)

お肉や野菜を加えて、生地を足し、仕上げていくわけですが、
そろそろメインの時代まつりの方が気になりだしたので、ジャン
ボフライとはここでお別れ。

大きな重機でこの鉄板を吊り上げて、ひっくり返す大技をやる
とかやらないとか言っていましたが、どうなったかしら?




その七
[2006/11/25 18:17] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

忍城時代まつり'06―その七 

osi061112-045.jpg  産業文化会館前に武者姿が
  チラホラと……。

  中から出てこられた石野さん
  にご挨拶して、早速撮影。


帰宅してから家族にこの写真を見せたところ、政宗公が母の
ツボにはまったらしく、年甲斐も無くキャーキャー言っており
ました(苦笑)




osi061112-046.jpg  osi061112-047.jpg

そして、ずうずうしくも控え室にまで入れてもらいました!
甲冑をつける様子をじっくり観察!(興奮)
許可を得て盗撮!(盗撮?)




osi061112-048.jpg
  打ち合わせ中の武士達。
  後姿もかっこいい。







この少し前、リンクを張らせてもらっている さんを発見。
二人で打ち合わせ中の甲冑隊を撮影しまくっていました。
私のはただの記念撮影というか記録で撮っているものですが、
梟さんのは芸術作品。撮影機材も半端無いし。

同じところで撮っているのにあまりに違うのでびっくりしますよ!





その八

[2006/11/25 18:17] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

忍城時代まつり'06―その八 

osi061112-049.jpg  osi061112-050.jpg

会場は旧市民体育館跡地駐車場です。
市民体育館いつの間になくなっちゃったんだ……。
ここも部活でお世話になった場所でした。

と、そんな話は置いておいて、いよいよ本日のメインイベントで
す。ステージ上には成田一族。それを寄せ手が取り囲み、さら
に観客が取り囲んでおりまする。逆光でお客さんも兵に見える?




osi061112ex.jpg
  そしてこんな新聞が配布
  されました!
  あとでじっくり読みましたが、
  なかなかよくできています。


中でも笑ったのが、

今日の天気
梅雨前線が九州から、関東にかけて停滞し、
各地で大雨となっています。
河川の増水や土砂崩れには十分注意して
ください。梅雨明けまであと二週間ほど。

三成、くれぐれも堤防の決壊には気をつけるんだよ(笑)




osi061112-051.jpg  osi061112-052.jpg

左の写真:石垣山の陣
ちょっと遠いけど、空間軸縮めて秀吉公もご登場。

右の写真:忍城側
前列、真ん中の女性が甲斐姫です。
行田市出身の女優、高松あいさんが扮しています。
後ろの女性二人は甲斐姫の妹……です。たぶん。

風上にいたせいで、スピーカーを通しての紹介もよく聞き取れず、
誰が誰やらわからん!(すみません)
壇上にいる武将は氏長なのか泰季なのか長親なのか?

実際の忍城の護りは、氏長は人質みたいな形で小田原行っちゃ
うし、泰季は高齢で途中で亡くなっちゃって、氏長室と甲斐姫と妹
達とご城代(代行)の長親さんだから……えーと…
あーもう!配役表が欲しい~。
(本当にろくなレポになってなくてすみません)




osi061112-053.jpg  osi061112-054.jpg

甲斐姫、ステージから降りて殺陣も披露されました。
バッサ、バッサと敵の兵を斬られておりましたよ。




その九
[2006/11/25 18:17] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

忍城時代まつり'06―その九 

ここで三宅高繁登場。
「瞬殺されちゃう人キター!」とドキドキしながらカメラを構え
ます(笑)

osi061112-055.jpg  osi061112-056.jpg

弓を持つ甲斐姫。




osi061112-057.jpg  osi061112-058.jpg

寄せ手の武将、三宅高繁は甲斐姫の美しさと武勇を聞き、
「俺もその昔、和田義盛が巴御前を捕らえて妻としたように、
姫を捕らえて妻にするぞー!」と大胆告白。

それを聞いた甲斐姫はにっこり笑って矢を番え、三宅高繁目掛
けて放ちます。




osi061112-059.jpg  osi061112-060.jpg

「ぐぅっ…」
矢は見事に喉元を射抜き、高繁は絶命。
命をかけた大告白も一蹴され、哀れな最期となりました。

個人的には自ら築いた堤防が決壊して流される三成についで
美味しい役どころだと思います。(笑)
凄くいいキャラクターですよね。




その十
[2006/11/25 18:16] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

忍城時代まつり'06―その十 

osi061112-061.jpg  お芝居が行われている間、
  ちょっと上の方から撮って
  いたのですが、いかんせん
  遠すぎるということで、下に
  下りてみました。
  こちらは真田隊。




osi061112-062.jpg  osi061112-063.jpg

石田三成の「大一大万大吉」と大谷吉継(吉隆)の「対い蝶」


大一・大万・大吉の意味するものとは
大とは天下を意味し、天下のもとで一人が万民の
ために、万民が一人のためにという世の中になれ
ば、すべての人が吉(幸福)となり、泰平の世がお
とずれるという意味だと考えられている。またこの
六文字は、一を「かつ=勝つ」と読み、万「よろず」
を万年の繁栄、吉を縁起のいい文字として、さら
にこれらに「大」を冠して、幸福を願う紋である。古
くは鎌倉時代の武将の石田為久(木曽義仲を射落
として知られる)が用いていた。
          (会場配布の「戦国史新聞」より)





osi061112-064.jpg  osi061112-065.jpg

続いて、武者行列です。
道が狭いのと歩く距離が短いのとでいい写真が撮れませんでし
た。残念。

そうそう、この時かかっていた音楽が大河ドラマ「秀吉」の
オープニングで一人でにやけていました。
「独眼竜政宗」と「武田信玄」とこれが大河の名曲ですねぇ。



osi061112-066.jpg




その十一
[2006/11/25 18:16] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

忍城時代まつり'06―その十一 

osi061112-067.jpg
  行列は御三階櫓の方へ。
  橋を渡って、門のところで
  記念撮影。





osi061112-068.jpg  osi061112-069.jpg

私が到着した時にはすでに他のお客さんで、堀を渡る橋がいっ
ぱいとなっており、全く近づけませんでした。

仕方なく、次の鉄砲隊演舞に向けて橋と櫓がカメラに入る位置
へ移動しました。
するとそこに梟さんが。
駐車場の方でイベントを行っている間、橋の上で鉄砲隊のリハ
ーサルをやっていたそうで、梟さんも鉄砲隊の演舞を狙ってい
るもよう。

撮影会の方は甲斐姫を囲んで、各武将が入れ替わり立ち代り
記念撮影しているようです。(見えない……)
自前甲冑で参加している方々の紹介などがあって、

「真田幸村公役のかた~、陣羽織を新調されたかた!
はい、手を上げてー!あちらが真田幸村公です」と

アナウンス。
「幸村だって、幸村」とざわつく周囲。
行田でも幸村公は有名人です。

そして「石野さんだ」と思わずニヤつく私。

しかし、橋の上で撮影している人達、一向に動く気配が無く、
独占状態。甲斐姫と幸村が一緒にいるところ撮りたかったの
に……無念。

来年はもっといいポジションを取れるようがんばろう。




osi061112-070.jpg  osi061112-071.jpg

御三階櫓をバックに火縄銃の演舞。
個人的には今年三度目の火縄銃。
いい加減耳が慣れたのか、銃の種類が違うのか音に驚く事も
なく撮れました。



osi061112-072.jpg  osi061112-073.jpg

この鉄砲隊は二人一組で背中合わせになって撃つ姿が、絵に
なっていて良いですねー。




その十二
[2006/11/25 18:16] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(2)

忍城時代まつり'06―その十二 

osi061112-074.jpg  osi061112-075.jpg

鉄砲演舞が終わって梟さんとお別れをし、忍城の周囲を見学。
鐘楼下の楓はまだ緑。今年は全体的に紅葉が遅れています。

その後、家族へのお土産等を購入し帰路へ。




osi061112-076.jpg
  おっと、忘れていました。
  忍城から持田の方面へ
  向かう途中にある「桃林寺」
  最後にここへ立ち寄りました。


ここにはあの鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の子孫のお墓
があるということで、お参りしようと思ったのですが……どこに
あるのかわからない。

夕方で時間も無く、庫裏へ訊ねるわけにもいかず本堂だけお参
りして帰りました。

今度は、熊谷の龍淵寺とともに前もってアポイントメントを取っ
て訪れようと思います。勝手に墓地に入り込むのもマナー違反
ですしね。




で、無事帰宅。
隣町に住んでいてつい2年前までこのお祭りがあることを知らず
に過ごしてきたわけですが、なんともったいないことをしていた
んだと後悔しきりです。来年も絶対見に行こうと思います。


さて、今回はmixi関連で色々便宜を図っていただいたり、情報
提供していただいたりして、普通より二倍も三倍もお祭りを楽し
むことができました。
本来なら当日すべきところだったのですが、こちらでご挨拶さ
せていただきます。ありがとうございました。

来年も楽しみにしておりますよ~!





[2006/11/25 18:16] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(2)

鳥さんのおうち 

suzume061124.jpg  esabako061124.jpg

木に何やらぶら下がっているのを発見。
巣箱と餌箱のようです。



subako061124-1.jpg  subako061124-0.jpg

梯子をかけないとつけられないような高い場所にこのように三つ
も。何事かと思ったら「バードウォッチング用にぶら下げた」との
こと。私も便乗させてもらっちゃおうかしら。


[2006/11/24 18:20] 雑記 | TB(0) | CM(0)

クリスマス中止のお知らせ 

今年も「お知らせ」があるかな~と探してみたら、すでに来年
のものまで……

2007-x.jpg


この「お知らせ」。怨嗟の声とは裏腹にここ数年、クリスマスの
恒例行事となっております(笑)

[2006/11/24 18:13] 雑記 | TB(0) | CM(0)

旧坂田医院でのイベント 

今日は旧坂田医院跡地で商工会が中心となってのイベント
が催されました。
ボランティア・ガイドも坂田医院の建物を一般公開するとい
うことで、その案内をすることになっていました。

ですが、私は家の用事で出られず……。
かなりの見学者だったようで、ちょっと行ってみたかったなぁ
と残念に思いました。

立て続けに急な用事が入ってしまって、行田のレポが遅れ
気味です。日曜までには何とかしたいと思っています。


akisora061123.jpg



[2006/11/23 20:08] 雑記 | TB(0) | CM(0)

東京買出し紀行 

kanda061122-0.jpg  sanemori061122-0.jpg

yusima061122-0.jpg  ginko061122-0.jpg


急遽、東京へ買出しに行くことになり、せっかくなので色々と
寄り道してきました。

神田明神前の天野屋さんで甘酒をいただく→実盛坂を見物→
湯島天神と湯島聖天をお参り→鶯谷の笹之雪で豆富料理を
堪能→雑司ヶ谷霊園にてお墓参り

細かいレポは時間があったら……。
突発的に行ったのでちょっぴり疲れました。







22:50 追記


.

続きを読む
[2006/11/22 20:45] 雑記 | TB(0) | CM(2)

里の秋 

aki061120-1.jpg

雨の合間に散歩中。
ケヤキが綺麗に紅葉していました。
急いで家に帰ってカメラを持ち、再び散歩へ。



aki061120-2.jpg  aki061120-3.jpg

一時間ほどして帰宅し、家族に見せたところ、
「お前、どこの山に行ってきたんだ」と言われました。
いや、すぐそこですよ。

今日は、もういなくなっちゃったかなぁ、と思っていたカワセミ
にも会えました。
飛んでいるのを二度も見たのですが、「あー!」というだけで、
写真は撮れず(苦笑)
自然の美しさは機械を通してではなく、肉眼でよく見ろという
ことなんでしょうかねぇ。
[2006/11/20 18:36] 雑記 | TB(0) | CM(2)

ロマンウォーク二日目のレポ 

やっとオワタ\(^o^)/

なんだかんだと用事があって、一ヶ月かかってしまいました。
まだきちんと読み返していないので誤字脱字、おかしな日本語
満載ですがよろしかったらご覧ください。
第5回真田幸村ロマンウォーク・二日目

さて、これでエンパに本腰を入れられる……と思ったけど、先週
の忍城がまだ残っていました。
もう、一週間経ってしまったんですね。
時間が過ぎるのはなんと速いことか。

そういえば、つい先日まで暑い暑いと言っていたのに、今こうして
キーボードを叩く指は冷たくかじかんでいます。

どうぞ皆様、お風邪など召さぬようお気をつけください。
私は……何とやらの人なので冬はめったに風邪を引きません(笑)
夏の方が引きやすいかも?

眠くて何を書いているのか分からなくなってきました。
そろそろお布団に入ろうと思います。

おやすみなさい(-_-)zzz
[2006/11/19 00:46] 雑記 | TB(0) | CM(0)

第5回真田幸村ロマンウォーク―その十 

061022-000.jpg

  ここから二日目、22日(日)
  のレポートになります。
  (一日目はこちらからどうぞ)


参加したのは、Dの「真田VS徳川・上田神川合戦コース(約18km)」


ホテルでゆっくり休んだおかげで、どうにか足は動くようになっ
ていましたが、今度は筋肉痛に見舞われ満足に歩けない状況。
集合時間の7時に間に合うように6時にチェックアウトしました。

本来なら集合場所の上田城跡駐車場へは徒歩で5分ほどで
行けるのですが、幸村公の銅像前ですでに6時15分。
写真を撮ってから、ゆっくりゆっくり駐車場へ向かいました。




061022-001.jpg  061022-002.jpg

いただいたウォーキング・マップを見て、「これは楽勝!」と
一安心。前日の30kmと比べたらかなりゆったりとした行程
です。

見にくいのでちょっと解説しますと、地図の左の方が上田城。
そこから赤い線をたどってずーっと右(東)へ行った所が玄蕃山。
玄蕃山を折れて下(南)へ行くと神川と、千曲川の交わる直前に
国露津穂神社と信濃国分寺。
信濃大宮社の前を通り、真田太平記館を見学して上田城へ戻る
というコース。

開会式の前に前日のベテランの方と雑談。
「昨日は2時くらいには着いちゃったよ~」
「止まっちゃうと、調子が狂っちゃうから昼は歩きながら食べた」
とか、凄いお話を伺いました。

今日は最終ゴール時間が15時に設定されているけれど、この人
なら午前中にはゴールしてしまうんだろうなぁと思いつつ、足を
モミモミ。
私の方が若いはずなのに、体がボロボロとはこれいかに。

開会式では市長さんがご挨拶。
「真田昌幸、幸村の上田城……」とまたしてもスルーされる兄上。
ここまで来るとお約束というか、スルーされることで反対に注目
される事を狙ってるんじゃないかと勘繰ってしまいます(笑)




さてさて、前置きはこの辺で。二日目、出発です。

061022-003.jpg  061022-004.jpg

この日は知り合いが一人もいないということで、少々緊張しつつ
歩き始めました。とりあえず、前半は先頭集団に食らい付いてい
き、ゴールした時にうまい具合に最後尾にいられればと計画して
いたのですが……

普通に速い。

駐車場→上田城櫓門→真田神社→歴史の散歩道→芳泉寺

ここで挫折。
というか本当にただ歩くだけなので、ロマンもへったくれも無い
のです(苦笑)

真田神社にもお参りせず、「はい、ここが芳泉寺です。真田信之
の奥さん、小松姫のお墓があります」とスタッフの方が説明して
も皆さん立ち止まらずに先を急ぎます。




061022-005.jpg
  ここを通り過ぎちゃまずい
  でしょう。
  と、私は列から離脱してお
  参りに向かいました。


芳泉寺(ほうせんじ)
 浄土宗。
元は常福寺という真田氏の菩提寺であったが、常福寺は
信之の松代移封後に上田に入った仙石氏により下之条
へ移転。小諸にあった仙石氏の菩提寺、宝仙寺がここに
移された。その後、二代政俊の死後、松翁山芳泉寺とした。
市指定の史跡として、「仙石家墓所」「小松姫の墓」がある。
      (参考、参照:上田市教育委員会設置の立看板)





061022-006.jpg  061022-007.jpg

燦然と輝く葵のご紋。
六文銭に溢れるこの街において何か異質な感じがします。
さまざまな逸話の残る小松姫ですが、六文銭と葵にはさまれて
苦労も多かっただろうなぁと思います。

本堂裏手のお墓にもおまいりしてきました。
お墓は他に、姫が無くなられた鴻巣(埼玉県)の勝願寺、真田氏
が治めていた沼田(群馬県)の正覚寺にあります。
また、常福寺にあった霊屋は移封の際、松代の大英寺へ移され
たそうです。


小松姫のことで頭がいっぱいで、仙石氏のお墓をすっかり忘れ
ておりましたが、奥の方にあったそうです。次に来た時には、お
参りしないと……。

余談ですが、実は鴻巣の勝願寺、小松姫のお墓の隣には仙石
久秀のお墓があります。二人とも時期は違えど同じ鴻巣で病没
しているのです。さらに申しますと信之の三男信重もこの地で
病没、同じく勝願寺に葬られています。

鴻巣にはいったい何が……。




その十一
[2006/11/19 00:35] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

第5回真田幸村ロマンウォーク―その十一 

061022-008.jpg
  芳泉寺を出て北へまっすぐ
  行くと、突き当たりに石碑が
  あります。



北向き観音道・道しるべ
 新町にある北国街道から松本へ向かう道の分岐点。
道の分去れ(わかされ)には、こうした道しるべが多い
が、この道は、別所の北向観音堂への参詣の道でも
あることから、道標は「北向観音道」。信仰の道である。
                (ウォーキング・マップより)

多くの神社仏閣は南または東向きですが、別所温泉の
北向観音はその名の通り、お堂が北を向いた大変珍し
い観音様です。

お堂の北には善光寺があり、北向観音を参拝したら善
光寺へ。善光寺をお参りしたら北向観音へお参りしない
と「片参り」になってしまい、よくないとか。
双方へお参りに行く人々が昔はここを通ったんですねぇ。



突然ですが、ウォーキング・マップの説明で「分去れ」
という言葉が出てきます。
最初、なんと読むかわからず、ネットで検索しました。

「わかされ」……私には聞きなれない言葉です。
検索で一緒に出てくる「追分(おいわけ)」は「追分宿」で
有名なこともありますし、群馬や栃木をドライブ中に標識
で見かけていたので、わかります。
どちらも、「道の分岐」の意で使われる言葉のようです。

ネットで見る限り「分去れ」とは中山道や北国街道のみで
使われている言葉のよう。もっと限定すれば長野のみ?
各地の分岐点の名称を調べてみると面白いかも?




rw-ex0.jpg
  道しるべを左に曲がり、
  逆「コ」の字を描くように
  「高橋」を渡ります。



高橋
 高橋は城下町上田の西の桝形、西のまもりである。
道はクランク状に曲がり、この橋を切り落として敵の
侵入を妨げる目的があった。
               (ウォーキング・マップより)


道しるべのところで私の前を歩いていたご婦人方が右に
曲がったので、「あれ?」と思いつつもついていきそうに
なりました。
すると、すかさず後ろから「そっちじゃないですよー!
反対、反対!」とスタッフさんの声。

危ない危ない。また道を間違えるところだった。

向源寺は門の外から手を合わせ、矢出沢川沿いを進みます。




061022-009.jpg
  「これより
   北国街道
   柳町でありま須」



北国街道
 北国街道は中山道と北陸道を結ぶ街道で、北国脇往還
と呼ぶのが正式。軽井沢追分で中山道と分かれ、小諸、
田中、海野の各宿場を経て上田に至り、坂城~戸倉、屋代、
丹波島、善光寺などを通って、越後の高田宿で北陸道に達
する。全長35里。長野県内の宿場は正式には14宿だが、
他に鼠宿などの間の宿もある。宿駅には伝馬役25人、馬
25頭常備が定められ、街道を利用する公用の役人や荷物
の継ぎ送りを行った。
 北国街道は善光寺を通ることから善光寺道、参勤交代
に加賀藩がこの道を通ったことから加賀街道とも呼ばれて
いるが、他にも、佐渡の金山から江戸へ金銀の輸送、北陸
方面の諸大名の参勤交代の路など、江戸と信越を結ぶ人
や物資の交易路としても重要な街道であった。
                 (ウォーキング・マップより)


柳町周辺は前日にも歩きましたが、町並みが綺麗に
整備されているので、ぶらぶらするのにとてもいい場
所です。




061022-010.jpg  大輪寺
  山之手さんのお墓がある
  お寺です。前日のコースに
  入っていたので、今回は門
  前で手を合わせるのみ。
  




その十二
[2006/11/19 00:35] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

第5回真田幸村ロマンウォーク―その十二 

そうそう、確か大輪寺のあたりだったでしょうか。
お声をかけてくださった参加者さん。
お話ししているうちに、私が宿泊したホテルの支配人さん
だということが分かってびっくり!

「ありがとうございます。私、支配人でございます」
「はっ?えっええっー!(頭の中真っ白)」

嘘のような話ですが、事実です。
一瞬頭の中が真っ白になりました。

支配人さんが参加者の年齢が高いという感想を言ってらし
たので、若い人たちの間で真田ファンが増えつつある現状
をお話ししてみたり……

年配の方は金に物を言わせて松茸食べ放題の温泉入り
まくりの~なんてできるけれど、金の無い若いもんには
ビジネスホテルの存在は大変ありがたい。

一日目終了後にマッサージがついたり、限定グッズがもら
えるロマンウォーク限定パックとかあったら、飛びつきそう
なんですけどね……いや、私が。



061022-011.jpg
  つらつら歩いて玄蕃山公園。
  といっても、ここは入り口。  
  休憩所までは急な坂道を登
  らねばなりません。




061022-012.jpg
  四阿とお墓、立て看板が
  現れ、やっと着いたと思っ
  たら、どうも様子がおか
  しい。


今回は各休憩所にお茶とリンゴが用意されているはずなのに
それらしきものが見当たりません。

もう片付けられてしまったのか……とがっかりして先へ進もう
としました。すると、前方の坂道を降りてくる人がチラホラ。

「休憩所はこの上だよ~!」

教えてもらわなかっら、そのまま先に進んでしまう所でした。
私の後から来た人もここで戸惑っていたので、同じように声を
かけました。この場所に一人スタッフがいてくれたらよかった
なぁと思います。

玄蕃山(げんばやま)
 上田城主仙石家の重臣荒木玄蕃夫妻の墓のあっ
たことによる。墓碑は「荒木鴻臚(こうろ)公之墓」
「荒木鴻臚婦人古田氏之墓」と刻まれている。
(玄蕃と鴻臚は同義)
 玄蕃は仙石政俊の重臣として仕え、寛文4年67歳
で没した。婦人古田氏は仙石秀久の孫に当たる。
                  (案内板より抜粋)

唐沢玄蕃の玄蕃かと思っていたら、違いました。

玄蕃とは律令制で鴻臚館(今で言う迎賓館のようなもの)を
管理する役職のことだそうです。




061022-013.jpg
  玄蕃山山頂からの眺め。
  これを見ながら、用意され
  たリンゴをいただきます。
  果汁たっぷりでおいしい!


品種は「しなのスイート」今、一押しのリンゴだそうです。
あまりにおいしかったので、帰ってからスーパーや八百屋
さんで探してみましたが、見当たらず。
どうやら出荷期間が短いためにあまり出回らないようです。
10月中旬から下旬、長野に行ったらぜひ食べてみてください。

休憩中に「上田観光ボランティアガイドの会」の方が玄蕃山に
ついて説明してくださいました。
こうしてガイドしてくれる人がいるのもいいですね。
看板とか疲れていると字を読むのが億劫で、写真に撮って終
わりだったりすることが多くなってしまって……。


案内が終わった後にガイドの会について少々聞いてみました。

正式な会としての発足は数年前ですが、上田ではそれ以前
から活動していたとのこと。
一人からでもガイドしてくれて、当日いきなり依頼してもOK
だそうです。
(でも、一応前もって問い合わせ、予約しておくことをお勧め
します)
私もいつかガイドの勉強がてら上田の街を案内してもらおうと
思っています。




その十三
[2006/11/19 00:35] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

第5回真田幸村ロマンウォーク―その十三 

玄蕃山を下りて、次は国露津穂神社(くろつぼじんじゃ)へ向か
います。

061022-014.jpg  061022-015.jpg

写真正面の方角に千曲川が流れ、反対側(または左奥)に神川
が流れています。

平地の周りに二本の川、そして遠くには山が取り囲むこの地形。
戦とか陣の配置に詳しくない私でも、どうやったら上田城を落と
せるだろう……なんて、考えてドキドキしてしまいます。
(この時はなぜか徳川方の気分に浸ってみたり)

こうして戦をしたくなるように仕向けるのも、昌幸の策?と
思ってしまうのは勘繰り過ぎかしら?

さて、二つの川がぶつかる少し手前の高台に国露津穂神社は
あります。が、坂道を登る気力が無くなっていた私は神社の場
所をただ見上げるだけでした。

国露穂神社(くろつぼじんじゃ)
 神川(かんがわ)と千曲川の合流地点から、神川・
千曲川の河岸段丘上にあり、ここからも第一次上田
合戦の舞台が眺望できる。第一次上田合戦は神川
合戦ともいわれ、大群の徳川勢が真田の精鋭部隊
の奇襲を受けたのも、敗退していく徳川軍が真田の
策略に最後の一撃を受けたのも、この神川であった。
              (ウォーキング・マップより)

この解説をあとで読んで、無理をしてでも登っておけばよかっ
たと後悔。




061022-016.jpg
  国露津穂神社からゆっくり
  歩いて10分ほどで、信濃国
  分寺に到着です。



信濃国分寺
 国道18号線の東側に現在の信濃国分寺がある。
平安時代に現在地へ移転したと推定されいる。
本尊は薬師如来、本堂は薬師堂になっている。
境内に室町時代後期に建立されたという三重塔が
あり、本堂では1月8日に八日堂縁日が開かれる。
     (ウォーキング・マップより 一部改変)



061022-021.jpg  061022-020.jpg

左の写真が三重塔。
国の重要文化財です。承平の乱で焼失し室町時代に再建。
現存する国分寺の中でもっとも古いものだそうです。
右は本堂の屋根の下。
斗栱(斗供)と垂木が整然と並ぶ様子が美しくて撮影してみま
した。

八日堂縁日。
毎年、一月七、八日に行われる縁日です。だるま市の他、
厄除け開運のお守り「蘇民将来符(そみんしょうらいふ)」を
求めてくる参拝者で境内はいっぱいになるそうです。

国道18号線の西側に信濃国分寺史跡公園があります。
奈良時代、信濃国分寺があった場所で資料館もあります。
その資料館に「蘇民将来(そみんしょうらい)」も展示されて
いました。
大学の講義でしばしば登場していた、蘇民将来。
当時、興味が無くて聞き流していたけれど、まさかここで
出会うとは。

信濃国分寺ではお札だけでなく、ドロヤナギの木を彫った
こけしのようなものを配るようです。

蘇民将来(そみんしょうらい)
 牛頭天王(素盞鳴尊)がみすぼらしい格好で一夜の
宿を求めた時、裕福な巨丹将来はそれを断った。
 しかし、反対に蘇民将来は快く迎え入れ、もてなした
ため、喜んだ牛頭天王(素盞鳴尊)は正体を明かし、
「疫病の流行ったときには蘇民将来の一族を助けよう」
と約束し、実際に疫病が起こったときに巨丹将来の
一族は死滅し、蘇民将来の一族は生き残ったという。
 その言い伝えから、各地各家で疫病や厄災から逃れ
るために玄関先に「蘇民将来の子孫」という札を掲げる
ようになった。

と言うことで、八坂神社で配られるらしいのですが、
なぜ、薬師様を祀っているこの国分寺で工芸品としても
高く評価されるようなクオリティの蘇民将来が出現した
のか……。

絶対、講義で言及されていると思うのですが、常に寝て
いた私が知る由もなく、またしても後悔。




061022-017.jpg
  本堂の彫刻。
  唐破風下の鳳凰。
  尾羽の彫刻が秀逸。     





061022-018.jpg  061022-019.jpg

木鼻の獅子と象。
ここの獅子は牙が生えているのが特徴的です。
象……獏かなぁ?とも思ったけれど、目が三日月型なので
象さんですよね?

他にもいっぱい撮ったけど、割愛(笑)




その十四
[2006/11/19 00:35] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

第5回真田幸村ロマンウォーク―その十四 

061022-022.jpg  信濃国分寺史跡公園を出
  発し、白壁と腰板の綺麗な
  お屋敷の前を通って突き当
  たると、再び北国街道
  (善光寺道)です。


次は科野大宮社へ向かいます。




061022-023.jpg  科野大宮社。

  ここはEコースにも組み込まれ
  いたようで、ウォーキングに参
  加している小学生がたくさん遊
  んでいました。

流石に若いわぁ~なんて横目に見ながら、お昼休憩。
ここでもリンゴとお茶の接待があって、美味しくいただきました。

科野大宮社(しなのおおみやしゃ)
 科野大宮社は1,300年ほども前に遡る格式の
高い神社で、歴代藩主に崇敬されてきた。境内
にご神木古株が残っているが、朝日は諏訪部
川原まで、湯碑は国分寺上の坊までこのご神
木の影が伸びたと言い伝えられている。
            (ウォーキング・マップより)







061022-024.jpg

  漆喰の建物(蔵?)を
  見ながら、街の中心部へ。
  





061022-025.jpg  061022-026.jpg

ここまできたらお城はあとちょっと。

「池波正太郎 真田太平記館」です。
企画展は「《写真展》池波正太郎の信州 その足跡をたどる」

私がこの二日間で歩いてきた所、また松代のお祭りで見てきた
場所に同じように池波先生が立っている写真があって、不思議
な感覚にとらわれました。

この写真展は2007年1月8日まで行われています。




上田藩主屋形跡。

061022-027.jpg  061022-028.jpg



061022-029.jpg  4月のお祭りの時は門が
  開いていたのですが、
  この日は閉じていました。

  亀さんも一匹だけ。






061022-030.jpg
  さてさて、どうにかこうにか
  上田城に到着です。




061022-031.jpg  061022-032.jpg

時間に余裕があったので、朝撮れなかった真田石などを撮影
して、ゴールの駐車場へ向かいました。




061022-033.jpg  時刻は13時半。
  予定時刻の15時に十分間に
  合ってよかったよかった。
  もう少し、ゆっくり歩いても
  よかったかな。


前日と同じく完歩証と美味しい鍋をいただいて、ロマンウォークは
終了しました。



二日間、本当に上田の皆さんや参加者の皆さんにお世話になり
ました。

勢いで申し込んでしまったものの、正直30kmと18km合計48kmを
歩き通せるか不安でした。
しかし、声をかけてくださった参加者さんや挨拶を交わした上田
市民の皆さんの応援で、どうにか歩くことができました。
スタッフの皆さんにもご迷惑をおかけしてしまったけれど、親切に
対応してくださって、お礼の言葉も出ないほど感謝しております。

今回のロマンウォーク、大変貴重な体験でした。
またいつか参加したいと思います。
次はもっとちゃんと下準備をして。

皆様、ありがとうございました。

そして、こんなレポを長々と読んでくださったかたもありがとう
ございました。そしてお疲れ様でした。



[2006/11/19 00:34] お祭り・戦国関連レポ | TB(0) | CM(0)

角兵衛@エンパ 

emp061117.jpg
  戦国無双2 Empires
  本日、購入しました。
  売り切れていなくてよかった。



オリジナルのキャラクターを作成し、それで天下を取れると
聞いて、「戦国最強」樋口角兵衛を作って日本を乗っ取る気
満々だったのですが……。
名前を付ける所でつまずきました。

「樋」の字が無い。

6文字しか入力できないので、平仮名だと「ひぐちかくべ」に
なってしまいます。
角兵衛らしいといえばらしいけど、流石になぁ。


あきらめて、既存武将でプレイし始めましたが……む、難しい。
難易度の一番低い「天国」モードでやっても、いっぱいいっぱい
です。

昨今、ゲーム脳だの何だの騒がれていますが、私の場合それ
以前の問題だなーなんて(苦笑)
取扱説明書を読んでも全く意味がわからないし。
最近の若い子は頭いいですよ、絶対に!(笑)

ま、少しずつ慣れていくしかないですね。

[2006/11/17 21:47] 雑記 | TB(0) | CM(0)

えええー!エンパ。 

kouji061115-0.jpg  kouji061115-1.jpg

rekimin061114.jpg




大宮公園のガイドと地元の工事見学会のガイドは
無事に終了しました。
例によって反省点はてんこ盛りですが……。
特別展やガイドの様子は別に書こうと思います。


今は気力が……

明日発売の「戦国無双2エンパイアーズ」を楽しみに
がんばってきたのに、発売日に買えなくなりまして
がっくりきております。

あれ?無双だかBASARAだかの時も同じようなことを
言っていたような……。
今回は出荷数が少なそうだから、売り切れたら二度と
買えないような気がします。特にこんな田舎は。
やっぱり通販にしておけばよかった。

お土産で誰か買ってきてくれないかしら。
(どんなお土産じゃ/笑)






22:10 追記

エンパは買えない、楽しみにしていた番組も延期。
10月と11月に遊んでいたバチが当たったのでしょうか(´・ω・`)




[2006/11/15 17:56] 雑記 | TB(0) | CM(0)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。