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近江国日野散策-その5 


【蒲生氏郷公産湯の井戸】

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新しくて綺麗なのと周りに民家があるのとで、何やら怪しげな感が否めませんが、前出の大正期の実測図に記号が見られます。
いつ掘られ、どのように使用されたか図からはわかりませんが、最近の物ではないのは確かなようです。

覗き込んでみるも、天気が良かったため中は真っ暗で何も見えませんでした。



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【中野城趾碑】
実を言うと日野川ダム湖に面した駐車場を目指して突っ走ってしまった為、この石碑と産湯の井戸を思いっきりスルーしておりまして、立ち去る時に気がつくという体たらく。

今回の散策に関しては事前準備もほとんどせず、滞在時間時間も少なくてほんと駆け足でサラッと舐める感じだったので、思い残すことが多々あります。
ブログの内容も薄い。今更ですが、薄い内容でも次回行く時の参考に書き留めていこうと思います。


昨年秋の滋賀県主催の見学会に参加できていたらなあ。
近江は遠い。





【日野散策-目次】
 ・その1
 ・その2
 ・その3
 ・その4
 ・その5(←いまここ)
 ・その6
 ・その7
 ・その8
 ・その9
 ・その10
 ・その11
 ・その12
 ・その13
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[2017/10/02 18:21] 未分類 | TB(0) | CM(0)

近江国日野散策-その4 

【中野城(日野城)跡】探検。

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江戸時代に市橋氏によって伏見から勧請された稲荷神社。
藩庁の裏鬼門を守っているそうです。
「明治の廃藩後は旧藩士を中心とした稲荷講によって信仰が続けられ、現在も大字住民によって受け継がれている」と案内板にありますが、ちょうど初午の時期で神社の壁に講中の名が掲げられていました。




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屋根の形が面白い。
正面向拝、独立した屋根が設けられていて、関東では見かけない形。




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橋を渡ると、凉橋(りょうきょう)神社。




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こちらはよくある形の造り。鳥居もシンプルな白木。
市橋氏の氏神と一説には毒殺された藩主が祀られているようです。
1700年代だと比較的新しいかな。


雪の上に一人分の足跡があり、自分と同じような人が午前中に
来ていたのかなあ。と想像してニンマリ。
明らかに地元の人の散歩の足跡とは異なる動きをしているので、
それを辿るのもおもしろかった。

先客は何を思ってここを訪れ、何を感じたんだろう。





【日野散策-目次】
 ・その1
 ・その2
 ・その3
 ・その4(←いまここ)
 ・その5
 ・その6
 ・その7
 ・その8
 ・その9
 ・その10
 ・その11
 ・その12
 ・その13
[2017/10/02 17:52] 未分類 | TB(0) | CM(0)

近江国日野散策-その3 

【日野まちかど感応館】

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旧正野玄三薬店。
日野商人の行商の主力商品となった合薬(あいぐすり)「万病感応丸」の創始者、正野法眼玄三の薬店。現在は観光協会として観光案内の拠点施設となっている。
(休館日:月曜※祝日の場合は翌日・年末年始)
(『日野まちなか散策まっぷ』より)



ひいひい言いながら、約20分かけて到着。
大きな荷物がなければ役場(図書館)から15分かからないでしょう。
一週間ほど前の大雪の残りが道端に散見されるものの、この日は晴天。厚着したまま一生懸命歩くと暑い暑い。前日に雪の高野山で雪中行軍したせいで、体感的にも差が激しく難儀しました。

受付に「自転車を借りたい&荷物を預かって欲しい」旨を伝えます。
レンタサイクルは店先には一台しか置かれていませんが、奥に数台あるようです。24インチと26インチの2サイズから選べました。住所氏名連絡先等必要事項を記入し、予定レンタル時間を聞かれます。
荷物は機内持ち込み可能サイズのスーツケースと小袋が一つあったのですが、無料で預かってくれました。

身軽になったところで「よっしゃ〜!城攻めじゃ〜!」と意気揚々とペダルを漕ぎ出しました。
そこで初めて気づいたのですが、日野駅を背にして東へ進んで行くと鈴鹿山脈へ向かって緩やかな坂が続いているんですね。これが結構太ももにくる。安定性重視で24インチを借りた事を後悔。またしてもヒイヒイ言いながら目的地を目指します。

町の中では『日野ひなまつり紀行』が2/12〜3/12の期間で行われていて、昔ながらの町並みを歩く年配の旅行者がちらほら。そこを普段着(城攻めの時は汚れてもいい格好にしてるので)でママチャリをかっ飛ばしてたら、品のいいご婦人に道をたずねられました。初めて来た場所で地元民と間違われたらしい(笑)




【中野城跡(日野城跡)】

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第二次大戦後作られた日野川ダムのダム湖のほとりに自転車を駐めて、森の中へ進みます。案内の矢印にうっかりしていたのですが、帰宅後に大正6年実測地図を現在の地図と照らし合わせてみたら、駐輪したところはすでに城の真っ只中でした。なんという罠。




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土塁を切り通した感じの上に橋が架かっていて、その下を通ります。
上には小さな神社があるようです。





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土塁と横堀。
空堀ですがうっすら水が溜まっています。

そして開けた所を進んで、振り返って気がついた。




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こっちから入って行くべきだったんじゃないかと。



【中野城(日野城跡)】
天文2年(1533)に蒲生定秀が築城。
氏郷が生まれ育ち、本能寺の変の時には信長の妻子一族がこの城に身を寄せた。現在の日野の中心街はこの城の城下町として形成された。
(『日野まちなか散策まっぷ』より)

氏郷が伊勢松ヶ島へ移封になると廃城となり、その後江戸時代に仁正寺藩の陣屋となった。
(現地案内板より)



観光協会の案内板によると、ここより東にある音羽城の砦として始まって、天文年間に本格的な整備、城下町の町割りが進んだようです。

『信長の野望ー創造ー』では音羽城が蒲生の城として登場しているので、本当はこちらへ行きたかったのですが今回は時間切れ。





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上へ登ってみます。
ある程度整ってはいますが、急な坂で木の根や小石も転がっているので、靴はちゃんとしたものを履いていった方がいいと思います。

高低差20mくらいあるかな。
写真で見るより、ずっと高く感じました。

それにしてもだぁれもいない。
いいよーいいよー。
この観光地化されてない感じ。秘密基地っぽい感じ。城を独り占めですよ。これぞ城攻めの醍醐味ですよ。






【日野散策-目次】
 ・その1
 ・その2
 ・その3(←いまここ)
 ・その4
 ・その5
 ・その6
 ・その7
 ・その8
 ・その9
 ・その10
 ・その11
 ・その12
 ・その13
[2017/10/02 17:38] 未分類 | TB(0) | CM(0)


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